細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【読了】カリガリス『妄想はなぜ必要か−ラカン派の精神病臨床』


カリガリス『妄想はなぜ必要か』を読み終える。後半は具体的なケースや治療の検討を複数人で行っており大変具体的で読みやすくビビッドに感じる。またイタリアで精神病院が全廃されたのは、治療構造として逆に危険ではないかという危惧を示している。是非は別にこの国においても重要な視点だろう。なぜならいたずらに制度をダメなものとして叩くだけではなく人々を活かす装置として考えているからだ。イタリヤ礼讚の風潮への抵抗にもなりうる。私たちの置かれた条件から始める必要がある。
またこの本で妄想は患者が危険から身を守る隠喩として構成されているという見解を取っている。隠喩はいかに疎通不可能にみえても疎通の条件をつくっている。
自分自身の症例というか生活史に照らしても、カリガリスが語っていることが了解しうる。だから自分の研究としても役だった。
精神病が<現実界>のレベルで他者からの指令をダイレクトに受けるものであり文字通りの指令として機能するか、隠喩として機能するか読めない。だから分析家は最大限の繊細さを持つ必要があるとか、また精神病者も自己を分析することが一段落できれば分析家になりうるという話もおもしろい。あまり真には受けないけど。
精神病はあるレベルで他者からの支配に拘束されているという見解はたいへん示唆的だった。どこまでも支配だ。しかしそれは生きている者だけではないようなのだ。

良心的な書物だと思った。

妄想はなぜ必要か―ラカン派の精神病臨床

妄想はなぜ必要か―ラカン派の精神病臨床