細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

暗い魂

 中ノ島の国立国際美術館モディリアーニ展に行ってきた。ついでに隣の科学博物館でプラネタリウムを見た。私は前天保山サントリーミュージアムで、シャガールを見て、シャガールの深い気息の漂う絵に勇気づけられた。ちょっとファンである。どんなに暗い絵でもそこから立ち上るものがいい。元気の出る絵だったからだ。
 シャガールはロシアで生まれたユダヤ人。1887年生まれ。対してモディリアーニユダヤ人。1884年生まれ。調べてみると接点がある。というか当時詩人アポリネールにおふたりとも世話になっている。エコールド・パリという同じ潮流の中にもいる。この当時のパリがどれだけ芸術運動の中心地だとしても、芸術家志望にとって生活は苦しかったことはまちがいない。第一次大戦戦間期である。
 シャガールがファンタジー的な、つまりある種の妄想幻覚的な世界だとすると、モディリアーニはどうも他者に対する空虚な感情みたいなものを感じる。どちらも現実への違和と不信を抱えていたとしても抜け出る方向がちがうように思う。
 モディリアーニのデッサンが多く飾られ、フォルムの捉え方が非常に正確に思える。人物画が多いが、体の線の流れ方はすごく素敵。デフォルメの使い方もなぜかマンガやアニメに強い親和性を感じる。瞬間的に人体を捉える様子の試行錯誤がよくわかる作品展示だった。けれど、例えば色を入れると、どのような色にも暗い色彩を混ぜ濁っている。はっきりした色はない。輪郭がきっぱりとしているため余計に暗い。また、黒目を一回入れて薄く白やブルーや灰で薄く消している物が多い。非常に不安になる絵である。はっきりした輪郭線を持ちながら、非常に薄暗くぼやけている印象。しかし、モディリアーニからみて、美しいと感じただろう女性の瞳は非常に綺麗にぬられている。これは、モディリアーニのあからさまな対他者意識だけでなく、世界がこのようにしっかり現前しながら、核心が不透明であることへの感覚ではないかと思えた。輝きのある人間からは光を感じ、それ以外からは常に曖昧な絶望を感じ取っていたのかもしれない。
 非常に狭いアパルトマンに住み同棲し結核に侵され35歳で死に、妻も身ごもったまま後追いしたという。これはまるで同時代の日本の私小説作家と似ているように思えた。シャガールが現実から様々に遊離しつつもある種の異邦人として生き延びたことと比較すると、ヨーロッパの暗い時代の先端にある苦しさに殉じたような印象がある。
 モディリアーニの絵をみて、暗澹とした気持ちになり思わず「これはエネルギーを吸い取られる絵だ」と感じた。それは魂そのものの曖昧な暗さに自分に似たものを感じたからかもしれない。

 で、その後プラネタリウムをみた。出し物は銀河鉄道の夜。椅子のすわり心地もよいので寝てしまいそうだった。かつて、大阪にはもっと古いドイツ製のプラネタリウムがあり、それをネタに織田作之助が台本を書いたという。それをまたネタに瀬名英明が小説を書いたと思う。詳しい筋は忘れたが、瀬名英明と織田作の結びつきに意外の感じのしたのを覚えている。