細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

12月らしくない天気に思う 命を感じる

「12月らしくない天気に思う」

昨日はとても変な天気でした。 12月なのに蒸し暑く、私はお好み焼き屋のおばちゃんに「今何月?」と苦笑していました。 昼からは診察に出かけました。

無事に診察を終えて帰るとき、なぜか右目が痛い。これは片頭痛の前兆だと思うわけです。 しばらく電車に乗ってますと、急に眠くなったりします。行きしも電車を乗り越したりしてました。 そして地元の駅に着くとものすごい滝のような大雨。 帰宅したら頭痛です。 いわゆる天気痛です。 激しい変化に体が困ってるんです。 頭痛薬飲んで数時間寝ましたがそのあとは、寝れず。

今日はゆっくりしようと思います。

人間は変な天気にもこれだけ左右されます。 それは人間が命だからです。 生命はずっとこの世界を感じて生きているんです。

私は人間って命だから生きてるだけで頑張ってる、何かを伝えていると思っています。 知的障害者の介護をしていて、それを本当に感じました。

その後私は精神疾患になりました。かなり無理な労働環境もあり、また幼い時からの課題を乗り越えられていないということもありました。

私は介護者のとき、自分は健常者だからとムリをしたり、突っ張ったんだと思う。だから病気になってよかったです。

それからはムリをしない、威張らないが戦いになったのかもしれません。 まだまだ修行できてません。

でも、私は激しいイジメや精神病で生きただけでもかなりムリしたし頑張ったし、心身にはいろいろな辛さが残ってます。 町に1人歩いていると不安です。毎日孤独感や空虚におそわれます。それでも、親から離れて一人暮らしでき、しんどいですが、私は変わったし、良い方向に向かっていると思います。

最近フランスの反政府デモが活発化しています。 フランスは社会運動で哲学者が活躍してきた国です。 サルトルは命が不条理な世界に投げ込まれていると考えました。 メルロ=ポンティは、命というものが否応なく世界と他人と絡み合っているのだと考えました。 フーコーは、精神医学が人間を閉じ込めてると考えました。 ドゥルーズは、精神病者は、この世界の鎖から逃れようと、病の形態で頑張っており、その努力を単なる病気としか考えない世界の価値観と戦わねばならないと考えました。 ドゥルーズの相棒ガタリは、精神病院で、患者とともに、人とのつながり方を、物事の見方を変えようと奮闘しました。生きやすくなるためにです。

これらの哲学者は、私たちが健康であるとか、何かをするということを当たり前にみなしませんでした。 その前提から始めると命の捉え方を誤って、どんなにすばらしい実践も反革命に堕することをつねに警告してきたのです。

私たちは、様々な環境汚染によりムリの効かない体になりつつあります。 また、気象も今日みたいにあまりにも変です。

だからまず私たちは自分をねぎらいいたわりましょう。 互いをねぎらいいたわりましょう。 反省するためにも、自分の行い、他人の行いをしっかり眼差しましょう。

今日生きた奇跡に素直に感動しましょう。 命を大事にしない体制に逆らうのはこれだと思いました。