細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

朝日新聞田井中雅人記者による「核に縛られた日本」の講演を受講

5月27日日曜日は中之島フェスティバルタワーにある朝日カルチャーセンターで行われた、朝日新聞田井中雅人記者による「核に縛られた日本」の講演を受講してきました。

私自身の印象に残ったことや感想を書きます。田井中記者のお仕事について正確な情報を得たい方は記事や著作をご自身の目でお確かめください。

田井中記者の核被害者のインタビューは注目していました。 一度お話を聞いてみようと。

お話は核兵器禁止条約をめぐる情勢です。 田井中記者の話は明解です。

ICANのサーロ節子さんのノーベル賞演説から「核は必要悪ではなく、絶対悪」という言葉を引用します。

絶対悪とは、被ばく者が放射能汚染や被ばくによって命が苦しめられ続けるんだということ。サーロさんは被ばく者として演説で語りました。 しかし、「広島長崎」という言葉はノーベル平和賞の受賞理由に入ってないんです。 むろんノーベル財団も最大の核大国アメリカを刺激したくないからです。

かくしてアメリカをはじめとした「核は必要悪」勢力の問題が明らかになります。彼らは自分たちの核保有を「必要悪」と正当化してます。

必要悪勢力である米英仏(中国は棄権してます。ロシアは核禁条約反対です。中ロは米英仏とは距離を置いてます)は、NATO諸国にアメリカの兵器を配備し、睨みを利かし、アフリカは英仏が旧宗主国で、今も経済的に強い力を持っているなどの理由で、睨みを利かし、核兵器禁止条約の世界的な批准を阻んでいます。

じゃあ日本はどうなのか? 日本は、アメリカに原爆を投下された世界初の国ですが、アメリカを非難せず同盟国となり、アメリカの原発技術を買って、原発開発を続けてきました。 実は日本政府はずっと潜在的な核保有能力の維持をしたいのです。 岸元総理も安倍総理も小型核の保有を合憲と答弁しています。 そのため、核兵器禁止条約に反対しました。 しかも、反対した日本政府の大使はアメリカの大使に肩を抱かれ、仲良く話す写真があります。 そんな日本政府が「核保有国」と「非核保有国」の橋渡しをしたいと河野外相が述べたそうです。

しかし田井中さんによれば、核兵器禁止条約推進のブラジルは、日本政府の橋渡し提言は「Not Welcome」だとはっきり述べたそうです。

アメリカの核保有を批判できず、さらに核保有の野心を捨てない日本政府だから、橋渡しなんかできないと、はっきり認識されてるらしいのです。

私は会場で、発言してみました。 日本はアメリカの核の傘から出て原発をやめてプルトニウムを放棄しないといけないと。

さらに、国内や韓国さらに世界中に原爆被ばく者がいるが、日本政府は、彼らの被ばく影響をアメリカ政府とともに否定してきた。 原爆症を認める、被ばく影響を認める。 ということを日本はすべき。 世界初の核兵器使用被ばく者の被害をいまだ認めないでは、核も原発もやめる一歩は踏めないと言いました。

これはいま追記ですが、被爆者は、閃光を浴び、爆風に飛ばされ、怪我をし、焼けくすぶる広島や長崎の町をさまよいました。そして、友人や家族が、血を吐き、死んでいくのをみた人も何人もいます。証言の類は本やネットでみなさん読んでみてください。

彼らは核爆発で放出された放射能に汚染された大地(きのこ雲の傘の最大直径は20キロといいます)に怪我などをしながら寝転び、降下物を含んだ雨に打たれ、煙や土埃を吸い、川から水を飲み、ということをせざるを得ず、というのは一瞬にして市内の家や建物は吹き飛ばされてしまったからですが、それ故に内部被ばくしました。そんな経験のあと、彼らは、体調を崩し、悩んで来ました。(すでに1950年代には於保源作氏が、広島市役所の住民データから、統計学的に癌死の増加を割り出しています。彼は地元の民間の医師で、国やABCCの研究者ではありません。しかしこれは早期に被ばく被害を明らかにした歴史的な成果とされています。「被爆10年前後で被爆者のがん死亡率が高いことを突き止めたのは、内科医の於保源作(おほ・げんさく)さんでした。戦後、疎開先から広島に戻り、全焼を免れた自宅で内科医院を再開。街にあふれる被爆者の診察を始めました。その過程で被爆者に白血病胃がんなどで亡くなる患者が多いのに気付き、1951~1955年に広島市が受け付けた死亡診断書11,400枚をチェック。被爆者のがん死が全国の平均を上回っていることを統計的に突き止め、1956年に医学専門誌に発表しました。」http://www.hiroshimapeacemedia.jp/abom/97abom/peace/06/bakugeki.htm) また直接原爆の爆風を浴びていなくても、黒い雨を浴びた人、数日以内に、家族の捜索、ケガ人の救助、瓦礫の処理、遺体の運搬と焼却などに、市内に入って被ばくした人もいます。 体内被曝者もいます。 それぞれ被ばく者手帳の対象です。

そんな経験を積み重ねて、いわば、未知の被ばくを経験した人びとを、科学者や官僚は、被ばくの影響はないんだと。

サーロ節子さんが被ばくというとき、こんな歴史があるのです。

田井中さんもアメリカの被ばく者に取材した話などしておられました。 被ばくの事実を知りたいという強い情熱を感じました。もっと時間があればたくさん聞けたかもしれません。

大変勉強になりました。ありがとうございます。