細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

朝韓首脳が板門店で握手。日本は、明治以降続いてきたアジア全体への傲慢なメンタリティを改めるしか道はない。

朝鮮民主主義人民共和国大韓民国は、今日、自らの力で、強いられた65年間の分断を乗り越える第一歩を踏み出した。 この瞬間を目にできてよかった。素晴らしい。 この先は、困難が待ち受けているかもしれないが、世界の多くの人びとの平和への意志が加わるならあるいは、道は開けるかもしれない。 それはまだ誰にもわからない。

しかし私たち日本人に祝す資格があるのか、私は自問する。

日本の旧帝国的な侵略メンタリティ。それは朝鮮半島差別をうみだした。 その朝韓の人々は自らの力で、和平を成し遂げつつある。 日本人が蔑んだ人々が、粘り強く力強く風雪に耐え、和平を実現しつつあるということ。 日本人の差別的メンタリティはやはり間違いであった。

歴史的に、偏見を是正するべくせまられているのは、もちろん私を含めて日本人なのだ。

率直に敬意を表するとともに、単なる反省ではなく、むしろ私たちの馬鹿げた偏見の霧を、朝韓の人々の力が吹き飛ばしたのかもしれない。

千年以上に渡り、朝鮮半島からの文明を学び、日本は国を作ったのだから、中国や朝鮮半島の文化がなければ現在日本という国は存在しなかっただろう。

民間ベースでは、中世も近世も、朝鮮半島と交流があったわけで、明治以降の日本が薄情なむなしい背伸びをしていただけなのだ。 脱亜論という名の差別。

背伸びをしても、人を叩いても、何も良くならない。 日本は明治以前も朝鮮侵略の歴史がある。その悪しき歴史が本格的な差別的侵略政策として、開花してしまったのは、明治。

日本こそが、これまでの、明治以降のやり方を改めなければならないときなのだと思う。 左右とか保革というレベルではない。

日本の、歴史的な意識のあり方の全体が問われているのだ。

私たちは、本当の対等、本当の尊重を学ぶために、学び直さねばならない。

もし日本の政府が拉致問題の解決を望むならば、つまり彼らに人道を求めるならば、私たちもまた人道を尊ぶことを丁寧に示す必要があるだろう。

これは交換条件などの話をしているのではない。 朝鮮半島をはじめ、アジアの平和に対して、日本の排外主義的な態度はすでに脅威になっている。 日本が北東アジア全体の和平を望み、これまでのやり方を変える、その参加者として真摯に向き合うという姿勢があってはじめて、アジア全体の日本に対する警戒感は解除される可能性が出てくる。 つまり拉致問題の対話プロセスが始まるのだ。 拉致問題は誰も良いことだとは思っていないが、日本の対中対朝に対する敵対的なかたくなな姿勢が解決を阻んでいる恐れが高い。

日本はそれくらい暴走している。 孤立しはじめている。 日本は、歴史の絡まった糸を自分から解いていく必要があるのだ。 これはへりくだることではなく、やっと朝韓と対等な位置に立つということだ。 それくらい日本は他のアジア諸国の取り組みに遅れ、アメリカとの関係だけを見てきてしまった。

朝鮮半島の非核化は、おそらくアメリカをはじめとした超大国に対する核廃絶要求につながる可能性もある。 そのとき、在日米軍基地を置きアメリカの核の傘にある日本が態度変更をせまられるかもしれない。 つまりアメリカの軍事力に頼らず、自前で、アジア諸国との関係を友交関係にしていくことが必要になる。 これはずっと問われていたことなのだ。