細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

放射能規制の意図的?不備から、「焼却」や「再利用」の議論や事業が始められているー福島第1原発事故 汚染牧草を堆肥化 放射性物質、暫定許容値以下へ 農研機構が栃木で試験 

汚染牧草堆肥化について気になる話が。 放射能汚染された牧草を焼却する計画について、宮城県議会でバグフィルターの集塵性能に疑義があり、焼却については県下で反対が広がっています。 しかし、堆肥化する計画もあります。 しかし、汚染された牧草を堆肥化し、田畑にまくのは良いことなのでしょうか。 そもそも、放射能汚染されたため、使用せず保管してきた牧草なんです。

汚染のために、使用しなかったものを再び撒くというのはなかなか理屈が通りません。もちろん置き場所に困る、腐敗するなどがあります。 しかし、放射能汚染廃棄物ではあります。日本政府が事故以来、放射能規制を緩和したところから、事故前には考えられないような、放射能汚染廃棄物の再利用、焼却という話が始まってしまっています。

東日本大震災:福島第1原発事故 汚染牧草を堆肥化 放射性物質、暫定許容値以下へ 農研機構が栃木で試験 /宮城 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20171125/ddl/k04/040/122000c‬ ‪「 使用する牧草などに含まれる放射性セシウムは、農地にすき込むことができる暫定許容値(1キロ当たり400ベクレル)をやや下回る濃度。また、施設で飼う牛のふんを加えて堆肥化する試験にも取り組んでいる。分解されることがないセシウムは、これまでの研究で堆肥化により「濃縮」されることが判明している。同機構は堆肥になった段階で許容値以下にとどまるよう「コントロールできるか」に留意しながらデータを収集するという。‬ ‪ 県内で汚染廃棄物の焼却に否定的な市や町は、許容値より高い牧草の処理方法として堆肥化に関心を示している。栗原市は昨年から、特殊な微生物を大量に使って希釈する実験に取り組んでいる。許容値を超える牧草の堆肥化について、阿部さんは「堆肥化するかしないかは濃度に関係がなく、技術的には応用できると思う」とする一方、「技術の部分と行政の(判断)部分は分けて考えるべきだ」と述べるにとどまった。」‬

宮城県登米市と提携した国立研究開発法人「農業・食品産業技術総合研究機構」研究によれば 「分解されることがないセシウムは、これまでの研究で堆肥化により「濃縮」されることが判明」

濃縮されることがわかっているわけです。当然の結果です。 放射性セシウムは、それ以上化学的に分解できないため、生物分解で堆肥化すれば、当然濃縮するわけです。 つまり放射性濃度は増してしまいますから、これは使えません。

これではまずいと、自治体や研究機関は特殊な微生物を使い、希釈できないかと。 薄めるのです。これは「汚染管理」としてかなりまずいやり方です。なぜなら、静かに汚染が環境に少しずつばら撒かれる前提だからです。

なぜ希釈するか? これは日本が放射能規制を「濃度規制」に頼っているからです。

事故以前から原子力発電所からの放射能廃棄物は気体であれ、液体であれ、個体であれ、単位あたりの濃度限度を超えなければ、所外に出せます。 つまり、検出限界を下回るくらいまで、大気や水や他のものと混ざれば、放出できるのです。 つまり、フィルターで濾して、自然界の大気や海水で薄めて、各モニタリング地点の観測する「濃度限度」を下回ればお咎めなしです。

本来は公害物質は「総量」で規制すべきでした。しかし、前の公害対策基本法や今の環境基本法でも、長らく放射能は規制の対象から除外されました。 現在は規制の対象にはなりましたが、具体的な環境汚染の取り締まりのやり方、基準は決まってません。

つまり福島第一原発事故以降、放射能の環境汚染はほぼ無法です。 かろうじて、放射性物質汚染対処特措法がありますが、これは事故以前のキロ100ベクレルというクリアランス基準を大幅に超えるキロあたり8000ベクレルを基準にし、事実上の汚染「容認」法になってしまいました。

ゆえに、放射能汚染されたものを燃やすとか再利用するとか、非常に危機的な議論があたかも合法のように話されています。

悲劇は福島原子力発電所事故以前には、原子力発電所外に原子力発電所からの放射能が莫大に放出された場合、それを監視処罰する法律がなかったのです。

電離放射線規則や放射線障害防止法といった管理区域を規制したり、放射線を扱う事業所からの廃棄を規制する法律はありました。 ならば、これが使えないかというと、政府も考えたもので、色々な抜け道を作り、原子力緊急事態宣言下の政府の規則や放射性物質汚染対処特措法などを駆使し、原子力発電所事故での運用が難しい状況にしています。

問題は無計画に放置されているのではなく、原子力国策を続けるため、見かけの経済社会を保つためと思われるような、汚染を罰しない法制度を、産官複合体が事故後構築したからだと思われます。

つまり、そのような国の考え方、やり方を見抜いて、そうではない仕組みに作り直す必要があります。

しかし、様々な科学的詭弁が汚染を認めがたい心理につけこみ、汚染を容認させ、放射能廃棄物容認という類例のない二次的人災が静かに進行していると言えるでしょう。