細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【提言】反安倍だけでは足りない。人権はなくてはならないもの。人権を軽視する社会体制の問い直しをー左派リベラルだけでなくノンポリの人々もわかってほしい

野党共闘は反安倍という枠組みだが、単に反安倍でよいのか、私は前回の参議院選挙以来考えてきました。 反安倍は大事で、安倍は反人権の象徴ですが、それだけでは足らず、人権を脅かす体制全般を問い直さねばならないと考えています。 相模原事件と原発避難者切り捨てが決定打。

慎重なので、議会政治は全部捨てるというのではありませんが、今の民進党、国会を見る限り、与野党の枠を超え、ナショナリズム、排外主義が浸透し、脱原発も危うくなっています。 日本の広範囲な市民がアジアの反原発や非核の動きに連動して、日米安保体制と原発を問い直さないと戦争になり兼ねない。

野党の中にいるいくらか良心的な議員さんたちがいくら頑張っても、民進党の崩壊を食い止めることはできないのではないか。むしろ、維新や民進党右派がヘゲモニーを握る恐れが高いのではないか。それを免れても分裂や弱体化は避け難いかもしれない。

あなたは野党に対する見方が甘すぎたのだと言われれば、返す言葉もあまりありません。自分で納得するまで考えて、反安倍だけでは足りない、反人権的な体制を問い直さないと、相模原事件、原発避難者切り捨てを見て、深く感じました。

沖縄基地問題も、岩国の米軍基地強化、オスプレイの全国化、宮古島自衛隊配備を見る時、沖縄への基地集中を含んだ日本列島全体の軍事要塞化として見る必要も出てきたと思います。

沖縄県知事が基地反対に有効打をなかなか打てない現状をみると、基地反対をやはり当たり前ですが、日米安保反対の巨大な構図の中に起き直さねばならないのではとか。

むろん私たちだけが日本の悪しき反人権的な体制を打破したいと希望しても、多くの日本人はミサイル怖い、天皇好い人というところにいるので、彼らにも人権が大切だと理解してもらっていかないといけないと思います。 しかし、今は大衆におもねるか、大衆を嫌悪するかみたいな両極端になっている。

むろん私も障害者や原発のことに関心を持たない日本の多数派に苛立ってます。 しかし、私が感じるのは、日本の教育、福祉、労働、マスコミどこも、疲弊し、政府のシステム改革により右傾化させられています。 翼賛は日本人がだらしないだけでなく、政府の強制も伴う。

つまり、日本の、あらゆる現場が疲弊し、また、政府財界のネオリベ保守政策で根本的に力を奪われ、私たちの誰もがその日暮らしの生き残りで視野が狭まっている。その中で原発事故や日本経済の悪化が、人々を不安にさせ保守、排外に追いやっているのです。

もちろん日本人は私もそうであったように、戦争責任問題に無自覚(最後にまた書きます)だからこうなりやすい面があります。 さらにここまで来たのは、日米安保体制を守りたい、原発をやりたい政府のネオリベ保守政策が30年続いたことにもあると思う。

ですから、セクハラやパワハラに苦しむ現場の若者や非正規のみんなが、声を出していいんだと、エンパワメント励ましあう必要もあるし、セクハラやパワハラは、日本の家父長制と連動し、政財界が維持したがってる性差別に問題があると知ってもらう必要がある。

この20年以上、教育は、私のような団塊ジュニア世代が大阪で受けた同和反戦教育とは、違うものになり、ガタガタです。若い人々も、反戦の言説に触れられないから知らないだけという面もあります。

自分たちが、セクハラやパワハラ体罰やいじめを受ける背景には、戦争の反省をしないで、原発をやる非常に非人道的な体制があるということもあまり若い人は知らないと思う。

若者や子どもたちは、「知ること」「自分で考えてよいということ」「嫌なものは嫌という権利があること」など、基礎的な人権というか、自分を大切にする方法や思想を教わってない、大人も知らないということが、今の社会の腐敗と右傾化の根幹にあると思う。

左派リベラルですら、女性への暴力や障害者差別に鈍いのは、自分たちも自分たちの権利を具体的に大切にする習慣が薄いからです。 最近、自分の発達障害について考えたり、障害者の事業所に遊びに行ったりして、それで再認識した。 みんな自分を大切にしてない。だから他人をさらに大切にできない。

こう考えると大衆に指導してやる、わからないやつはバカとなるのでも、大衆におもねるのでもなく、私たちが私たちの人権を大切にし、エンパワメント励ましあい、セルフケア自分を大切にするという実践をみずからやり、周りに広げることが大切。 これは、左派リベラルのすべての人に言いたいです。

私たちの社会はここ20年で、セクハラやパワハラや働きすぎを問題視できるようになった。これを原発や基地や天皇、つまり政治経済の人権はく奪体制の認識に広げるには、エンパワメント、セルフケアなどを通じて、人権を実感する。ということが大事なんじゃないでしょうか。

いろいろ足りない点、認識不足の点があるかもしれませんので、さらに考えていきます。今は某障害者の事業所に遊びに行くことが増え、自分が暮らし障害について考える場所を見つけていくのを頑張ってます。 運動への出入りが減る時もあるかもしれませんがご理解ください。

最後に、現在の原発事故、軍拡、企業の過重労働、社会の保守化を正すには、明治近代日本が何をできなかったか、日清戦争から太平洋戦争敗戦に至る戦争体制の中で、天皇をはじめとした指導者たちの責任が十分問われていないからそれを問い直すことが必要です。 明治近代日本は富国強兵で、能力主義、環境破壊、排外主義を一体に進めましたから。 天皇を中心とした国家主義は人権を大切にせず、現在もその名残があると感じます。

戦前戦中の国体を引きずった戦後日本、これからの日本が、権威主義、企業支配を是正し、人々が基本的人権を尊重され、環境を壊さないで生きるために、戦前戦中戦後日本の過ちを認識し改善することが必要です。