細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

私の毎日の気持ちのしんどさと障害

精神障害者のコミュニティべてるの家で「お客さん」というらしいですが、嫌われてるんじゃないか、私はダメなんじゃないかという強力な想念は私はあります。
それは客観的な事実より強いもので昔は囚われると出かけられなくなりました。
今はあまりにも寂しい気分やモヤモヤで現実が見えにくくなる感じ。

 

昔はべてるの話がよくわからなくて。最近べてるについての本を読んで、前よりわかるようになって。

私は幻聴はないけど、現実や言葉や他人の気持ちの変な解釈から、嫌われてるとか、もうダメだとかなるのはあります。これは気にしすぎとか思い過ごしよりかなり強め。
最近は障害特性について理解が進んだから扱い方が少しわかりましたが、私も自分の苦しみの全貌はよくわかりません。

とにかく自閉症スペクトラムは、やっぱり、他人の言葉や仕草や表情から受けとるクオリアみたいなものがなんか他の人と違うから、他人とうまくつながらない。全く他人の気持ちがわからないんじゃなく、受けとるやり方が違うからすれ違う。

それと、私はパーソナリティ障害もあり、自我が脆いなと思う。毎日不安で人を信じるのがうまくならない。信じすぎたり不審すぎたり。

 

で、寂しさというのは、他人への飢渇感を生み出しまして、喋れる人とはえんえんしゃべります。
健常者には話がくどい、うざい奴と見られてしまうから、うまく話そうとして逆にホンネが話せなくなる。
でも寂しさは言葉ではなかなか埋まらない。
最近は他人と話しながらヒントを見つけられるようになりましたが、本当は自分と相手の接点がわからずよくカオスになってる。

ヨガをやるようになってから呼吸とか脳の疲れを癒すとか大事だと思うようになりました。
しかし余裕がない場所や疲れがたまりやすくて、たまると強力な「お客さん」や寂しさに襲われますから、体力気力をメンテナンスしないと、やばいです。
私がなんでも、あまり疲れないようにするのはそのため。
書くのは脳を整理するためです。

たぶん、書かないと頭がヤバくなるんじゃないでしょうか。
でも書くのは疲れる。
しかし現実との距離がうまく測れないのは、やっぱり書いて整理した方がよい。
整理というか、脳の中が片付いてないといろいろ蹴つまずくから。
かっこいいからじゃない。

昔は向こう三軒両隣に嫌われてる妄想とか、知らない顔の人も見つめなきゃいけない強迫観念とか、絶対僕は病気になってて死ぬだろう観念とか、妥協したらあかんから決裂しきる強迫観念とかあって、大変でした。
今はだいぶマシだけど油断したらまたでてくるかもしれなくて、油断できないし、本当に。
毎日疲れる。