細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

発達障害を単なる「個性」として相対化することへの抵抗と違和感

発達障害などは見た目にはわかりにくいが、見た目が大丈夫そうだから、あなたのそれは普通と変わらない、大したことない、個性と考えなさいというのは慰めになってない。
なぜなら、本人が内的にしんどいとか不具合があるから発達障害を認識するに至っているのでそれを個性で済ますのは危険。

本人が内的にしんどいと感じる生きづらさは、本人が健常者社会から受けるプレッシャーによるものかもしれない。だとしたら、それはどれくらい本人のせいではないか、実際に生きやすくしたり、苦しみを減らすにはどうしたらよいかと考える。
その時に発達障害という呼び名が必要な時もあるかもしれない

障害概念を単に社会から受けるレッテルとだけ認識すると、本人が苦しみに名前をつけたり、語ったりする行為を見落とす。
必ずしも障害と呼ばなくてもよいとしても、不具合があり、周りの支援や配慮が必要な時、その苦しみや不都合を語れる共通言語はあったほうがよい。

概念というのは静的なものではない。
つねに使う人が意味やあり方を更新しているのだと、障害学や、社会学で習った。
これは震災前。

べてるの家で、自分に病名をつけるという取り組みがある。苦しみにぴったりな名前を本人がつけ、その苦しみを仲間や医師と語り合う。
彼らは精神疾患者として社会的には規定され施設に来ているが、自分の側から病を規定し主体的に引き受け直す過程である。

そんなべてるの家には「治りませんように」という言葉がある。
簡単に治ってしまうのではなく、苦しみを引き受け、認識し、人生の一部として捉え、そこに含まれている自分らしさを取り戻す、それはじっくりであり、社会や自分の焦りではなく、自分が病気になった意味をつかみ変換する。

べてるのやり方は、障害概念の単なる否定ではなく、患者自身が内在的に、自分が病気であり苦しみであることを引き受けるために新たな概念を開発する行為である。
そこでは病気は単に個性に変換されていない。
病気や苦しみをその人らしく個性的に認識し、語りの場にするということ。

このような例は青い芝の「われわれCP者は」という宣言にも見られる。
脳性麻痺=CPとして、差別されている主体としてはっきり宣言し、その存在を社会や健常者につきつけ、見て見ぬ振りをするな、ないことにするなと、排除の実態を浮かび上がらせるのだ。

障害を個性だけで片付けるならべてるや青い芝の取り組みがわからなくなってしまう。差別のある社会の中で、自らの特異性や苦しみを自らのものとして引き受け直すには、単に否定したりするのではなく、障害と呼ばれるものの意味を社会と自己に直面させ、解放するような複雑な戦略が必要なのだ。

発達障害という概念はいまだ形成途上にあり、いろいろ不十分さを抱えながらも、臨床的社会的概念として機能はしている。
発達障害は脳神経の新たな知見により、障害のある人とない人にははっきりした区切りはないスペクトラムなのだという考え方を打ち出している意味で、反ではないが脱差別的な概念かもしれない。
しかしそれはまだ十分に差別性を拭えていないかもしれない。
しかし気になることがある。まず発達障害スペクトラムであり、健常者と障害者の明確な区切りはないという意味で、各人の発達は個性的であると述べている概念だ。
そのことを発達障害は障害ではなく、個性だという人はわかっているのだろうか。
発達は個性的でもあり、障害としてたちあらわれる瞬間がある。
社会的に差別が作用して、障害になっている面と、本人が困難を障害的に捉えざるをえない面とがある。
そのような多面性を私たちが理解する時、差別はひとつ、発達について解除されうるチャンスがあると私は思う。