細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

被曝から命を守ることは、命への加害を許さないこと、人権の基礎

 

先日、優生思想になってしまうからという理由で、放射能による被曝影響を語ることをためらう的な言葉を見かけました。
今も放射線から身を守ること、と、優生思想は意味がまるで違うということを整理できていない人がいることに暗い気持ちになりました。

放射線から身を守るというのは、よくよく整理すれば「殴られたくない」「殴るな」ということに尽きます。
優生思想は「より優れた遺伝形質を恣意的に決め、それ以外を淘汰させる」という意味を持っています。優生思想は民主主義に敵対します。なぜなら一人一人の違いが社会を作っているからです。
「殴るな」と「より優れた遺伝子以外を排除する」は意味が違います。脱被ばく側もそうでない人も、障害福祉の人々もそうでない人々も整理すべきです。

自然界にあるからというのも話が違います。原子力発電所で人為的に核分裂をわざわざ起こし発生した放射能を問題にしているからです。

放射線というのは遺伝子、細胞レベルで、命を傷つけるものです。
日本が原子力を推進してきたから、みんな傷つけられても仕方ないというのは極論過ぎます。
これまでの東京電力や日本政府に責任がない未来世代への加害は正当化し得ません。
また東京電力の受益者は厳密に言えばたくさんはいません。東京電力の電気を買ったからといって、放射能に被曝しろというのも極論過ぎます。
東京電力を解体し、原子力放射線の政策を改善させることがその方々に課せられた務めかもしれません。
被曝労働を貧しい人間に押し付けるのか、被曝徴兵制を敷けという意見には、一瞬そうかなと思いますが、しかしまず重層下請け構造をやめさせ、大電力、大企業が安価に危険な労働に貧しい人々をかり出せる仕組みを無くすべきです。それは、日本の学歴社会や格差をラディカルに変革しなければなしえません。

また、廃炉や汚染対策に一定の作業員が必要だとしても、現場が不当な被曝にさらされ、検診や労災さえまだまだ不十分なので、それを求めなければ、今後働いてくれる人は誰もいなくなり、福島第一事故現場は破滅しかねません。

食べて応援というのも無理があります。汚染された土をいじり作物を育てる人が一番被曝する構造は温存されたままだから。

東京電力や日本政府は、できた対策や規制をないがしろにして、事故を起こし、低線量被曝するおびただしい人々に「問題ない」と被曝をなかったことにして復興だといっています。
つまり加害者が被曝にほっかむりしている現状です。
つまり今の状況には「放射線によって人を傷つける加害者がいる」のです。
被曝は、生命の基礎である遺伝子や細胞を傷つけます。
その加害、加害者を許さないのとより優れた遺伝子を求めている優生思想とは違います。

 

例えば被曝影響があるかを心配すること自体差別だとか、優生思想だという言説まであります。
それは違います。もちろんそれで、人を差別し馬鹿にするのがおかしいのです。くさいものに蓋ではなく、私たちは放射線被害の実相を知り、差別を是正する必要があります。
被曝影響で障害があったとして、それをいじめることが優生思想です。
そのような不当な被曝により、生まれながらに苦しみを背負わされることに被害があります。
しかし、障害があったとしても、その人を分け隔てなく生きていける仕組みにすることが、また周りの大人が障害のある親子の負担を小さくする社会にすることが、優生思想と戦うことであり、そんなの理想だと言われても、これしか答えはありません。
また、産むか産まないかを悩まざるをえない状況というのも、社会の価値規範や生きづらさが形成してる部分が大きいと思います。
加害者を免責し、人々を被曝状況に放置し、放射線感受性が高い人から倒れていくほうがよほど、「優生思想」的な「淘汰」であり、私たちの工夫や努力で、被曝を少なくする体制を整えることこそが、優生思想に抗う見方に近いと思うのですが。


よく被曝を気にする人で、「自己防御しかない」といい、一理はありますが、最終的にはみんなを被曝から守る仕組みにしないと、被曝は容認され続けます。その意味でも社会の変革は避けられません。

 

これらのことを十分に議論し、その上で、汚染された場所にとどまるか、避難するか選んでもらえば、答えはずいぶん違ってきます。避難する人もとどまる人もあの事故で、ふるさとの今までの姿を失いました。
私たちは被曝から身を守るのは権利だという視点を忘れずに議論をしていくことが望ましいでしょう。
これからさらにだいじになるはずです。

 

私の考えもまだまだ不十分ですし、これからまた考えて考えていかねばなりません。今は見えていないものが見えたら、修正する部分も出るかもしれません。

偉そうに書いてますが考え続けるほかないのでしょう。より良い答えが見つかるまで。
そもそも答えなどあり得るかということも含めて。