細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

勇気もないし、根性もない。だけどこれは言わなければ、言える場所がなければと、それが表現の自由じゃないすか。

僕は最近街宣に参加してますが、「無理解な大衆が!」みたいなことはしゃべってません。差別もイジメもセクハラも戦争も原発も政府もみんなダメだと思う。若者も大人もみんな息苦しいはずですよね?人をいじめるのではなく、なんでこんな社会になってるか考えましょうよという呼びかけです。

もし世間に無理解や偏見があるなら、ありますからたくさん、それは指摘します。
基本はハートでしゃべるんです。祈るような気持ち。安倍や橋下の批判をするときでも、それぞれが楽しく苦しめ合わずに生きられたらとそんな感じです。

私は、私はいじめられた、とか心が辛いとか、ちゃんと叫ぶんですよ。
絶対にそんな思いをしてるひとがたくさんいるし。
1人だって思ってほしくない。単に騒いでるのでもない。本当は警察は怖いし、暑いのもやだ。
だけど、何か言える間は言うんですね。

ヨーロッパには、広場があって、アピールができます。韓国や台湾やビルマやフィリピンや中国の人だって、好きで軍隊や警察に殴られてるのではない。街頭で話す自由がなくなれば、その社会は終わりだ、他の諸権利も終わりだと知っているから。
つまり日本は限りなく統制された社会。これが戦争生んだ。

原発も、いじめも、性差別も、差別も、腐敗政治も、みんながヘンだよね?と口にすれば簡単にできません。
私は民主社会の基本原理が人々が意見を言う、感じたことを話す、から成り立っていると考えている。
亡き恩師に、民主主義について教わった。もちろんあまり理解できてないが、それでも。

繰り返すが、私は体力も気力もだいぶ小さいし、怖いのは嫌い。私の参加してる街宣だって、気の強い人ばかりじゃない。
そんな人々が止むに止まれず、気持ちで叫んでいることが徐々に若い人に伝わっている気がする。

私は最初の頃こうも叫んでいた。
「みなさん、またうざい左翼がなんか叫んでうるさいなーと見てるでしょう?その通りです!私たちはうるさい左翼です。でもうるさいことを言わねばならない。私たちもみなさんも悪い政治家になめられている。そうじゃないか!?」と。

だって、私は大衆を笑えるほど賢くないよ。さらに私は特別な人ではない。私たちを孤立させないでほしい、なんならたまには力を貸してほしい。いやちがう。いろんなところで声をあげ、変わっていかないとこの社会は必ず破局に至る。

私のような弱虫まで叫ばなければならなくなっている。それは、私という弱虫が徐々に、向こうから殺されることを予感しているからだ。
私は幸せになりたい。言いたいことを言わねば、後悔して死んでしまうだろう。
うまいものを食べても、好きな人ができても悲しいだろう。
だから勇ましい理由はない。