細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

萎縮という言葉で見えなくなるこの社会の根本的な危機について

 


萎縮という言葉が気になってます。

つつましい暮らしを作るために最低限のことを言ってるだけなのに、取り締まる恐れがあるような法律を作る人が間違っているのです。

つつましい暮らしさえ奪われたら萎縮どころじゃなく
生きていけないですね。

つまり殺されかけてるんですよね。私らは。

媚びたり、従わされたり、価値付けられ、条件付けられることで当たり前の暮らしが成り立っていることが間違いなんです。
その条件の中にさえ入れない、障害者は虐殺され、在留外国人は国家から排除され搾取されています。
すでにかれらには発言の自由がない。
今の自由ですらこのザマ。

この社会にはすでに殺され続けている人、今から殺されるかもしれない人、今は殺す側だけど未来には殺される人、絶対殺されてない、つねに殺す側に立つのだと決意する人しかいないんです。

この世界で、与えられた自由を萎縮するかどうかを議論してるそうなんです。

萎縮したりしなかったりする前に、誰もが到底生きられない条件を与えられ、自由をめぐって競わされている社会自体が間違いだとなりませんか。
警察や政府は怖いですけどね。私は気が弱いから。

けど、これはそういう話じゃないでしょうか。

なんか変ですよ。
やっぱり根本から考えなおして、自分を捉えなおさないといけないですよ。
その作業をやるかやらないかです。
でなければ、どんな政治的なお考えをお持ちの素晴らしい方でも、流されちゃうんじゃないかしら。