細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

天皇制は、巨悪や災禍を引き起こしても誰も責任を、取れないシステムだから問題です

森友学園が読ませている教育勅語や五箇条の御誓文は天皇の権威の元に人びとを服従する「徳」を説いています。
自民党政権改憲案で天皇国家元首とすることと、森友学園問題はまっすぐつながっています。
日本の国家主義が辿り着いてしまうのは天皇という権威しかない。君が代押し付けが良い例。

天皇制の厄介なところは、加藤周一が正しく1946年辺りに指摘したように、天皇の人がらなど押し流して、最悪の事態を招くシステムだから問題なんですよということです。
そこまで理解して初めて戦中の人々の残してくださった洞察を活かせます。
天皇の権威を振りかざせば、天皇自身を含めあらゆる人が責任を取らずに、ひどいことを組織的にできてしまいます。
原発事故もそのような角度から見れば似た仕組みなんだとわかります。

天皇制とは、人々が自分で考えたりせず、流れに乗ってしまう社会的な惰力そのものを「なりゆき」「勢い」という自然的潜勢力として称揚するシステムです。丸山真男がそう晩年に指摘しています。
「巌となりて苔のむすまで」とか「一木一草」とかそういうことです。

自然になりゆき繁茂する権力の生成を追認し伝統として捉えるのが最高なんだから、それが「神ながら」「國體=国の体」なんだから、民主主義になりようがありません。

 

さらに天皇制が巧みなのは、「親を大事にする」という誰も逆らいにくい道徳から、目上の人に従い、天皇に従いと、続けていくわけです。
そして、故郷や家族を侵略から守る=天皇の国を守るという等式というか観念連合を成立させようとしているのです。

戦前もそうでした。


だから自民党政権は家族が大事という道徳や性倫理を打ち立て、それを領土や領民の防衛にスライドさせ、領土や領民を国家とその父の天皇にズラして、国家防衛のために人びとを動員する仕組みにするのです。
ど真ん中には「日本スゴイ!」という自民族中心主義が来ます。