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細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

「いきている」を生き直すために、ここ数年感じたことー続・私のtwitterアカウントに(いきている)と名づけている理由

私のtwitterアカウントに(いきている)と名づけている理由 - 細々と彫りつける http://ishikawakz.hatenablog.com/entry/2016/11/16/210631

この記事の続編です。

 

互いが互いの扱い方について、話し合い、わかりあうことが大事なのだ。
互いの本当の気持ちが出て来やすいようにすることが大切であり、本当の気持ちを礼節から真心から求め合うときにしかコミュニケーションは起きない。
その時互いは個体でありながら、つながりあったものとして現象する。

 

私は自閉症スペクトラムであり、不安や苛立ちは大きい、しかし本当のことしかいいたくない、飾ってしゃべることができないということも事実だ。
私は最短距離を求めるため逆に迂回路を歩むことになる。

 

愛というのは互いを所有しあわなくても、互いを信じるという確信であるが、私はいつも他人に頼り、楽しく過ごしてきたが、同時にどこか不安だった。
私は確かなものがないと。
それを自閉症スペクトラム診断が下りてからさらに強く考えるようになった。
私は精神の亀裂を直視しなければならなかった。

 

精神の亀裂を直視する度にそこに届く声を、態度に敏感になった。
私は他人を許すことは自分を許すこととつながっていると思うようになった。

むろん不寛容で頑固な私だからそれはなかなか難しい。


ただ、相手に、私は自分の今感じていることを正直に語りたいと思うようになった。

自分の亀裂に届かない言葉や気持ちにあまり長々と付き合うのはしんどくなったということもある。

 

理解する、されるということは時間がかかる。

 

今この時が楽しいということを大切にしようと。そうすればそうするほど、生きることは儚く切なく愛おしいと感じて、私の傷んで乾いた感覚が生きかえるようでもある。

 

私の傷や亀裂は年代物だ。
私の痛みが蘇り、私は苦悩しモヤモヤし、恥ずかしい気持ちになる。
しかしそうしてしか傷は治らない。
また歩けるようになったらいいな。