細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

はじめから被ばく影響は「低線量においてない」と決めるのはまず非科学的であり、「ないから調査や対策をしなくてよい」のは論外であり、トートロジーに陥っている。それが放射能の議論を異常なものにしている。

私は放射能汚染の影響を評価する場合、こう考えます。
人工線源がある限り影響はゼロではないと考えて防護すること。影響があるなしの神学論争ではなく、汚染や影響の調査を適切に設計された調査をまずやること。

なぜなら、政府は影響がないから調査をしなくてよいと、調査をサボっているからです。

 

大切なのは、汚染や影響の「分布」「偏差」を明らかにして対策することです。
二元論ではなく、影響の強弱、汚染の濃淡はグラデーションになっているはずです。

北米、ヨーロッパ、オーストラリアなどで、医療線源や環境線源による非常に低線量の被ばく影響を統計的に検出することが可能になっています。

日本は原子力産業界と政府や学術界が距離を置けてないので、福島原発事故についてこのような統計的調査ができていません。

客観的な状況を調査しながら確かめることです。
科学というのは、絶対の答えを出すものではなく、複雑な現実のあり方を記述し、議論によってその解釈を行い、介入の方法を見出すことです。

 

はじめから「100mSv以下は影響はないから調べなくてよい」とする政府、一部学者の非科学的な言明で、「調査と対策」をされなくなるのはおかしいのです。

「ないからない」は証明とはいえません。

それに対して、きっとものすごい被害があるにちがいないという推測をぶつけても、調査データがないから議論が成立しないのです。なぜ調査と対策をしないのか、しなくてよいと決めつけているのかを問わなくてはなりません。

 

今の政府は
「低線量では影響はないに決まっている」
⬇︎
「影響がないから調査しなくてよい」
「影響がないから対策も予算もいらない」
「影響がないから賠償をなくしてよい、避難する必要もない」

私はこんなデタラメをまず、原発推進であろうが反原発であろうがやめさせるべきだと思いますよ。

 

これに「影響を心配するのは不安で病んでいるのだ」「正しい科学を知らない無知だ」「影響を心配する行為自体が風評被害だ」という世論や学術界一部からの攻撃が追加されています。

ここでも

「なぜ調査しないのか」

「事故以来、政府や電力会社はありのままに最大限放射能汚染について伝えてきていないのではないか」

という疑問が湧き上がるのは正当です。

何が何でも心配だという人もいますが、無理もないのです。まずしきい値がないのが、被ばくの特徴。

さらに公的機関が「ないからないのだ」という限り信頼できるデータがないため、なにがどうなってるかわからないので、全く考えないか、あらゆることを調べ疑い、被害を考え続けるかの二択を迫られます。

もちろん日常に放射能が降り注ぎ、それに対する政府や電力業界の補償が十分でないと思われ、明らかに責任者が適切な処罰を受け、電力会社が法的整理もされておらず、被ばく線量基準、環境汚染基準、廃棄物基準が事故後突然数倍から数十倍に緩和されたので、未だ混乱や不安をかかえる人が多いことを単なる無知や単なる個人的問題にできますまい。


これらは公共的に議論されるべき問題なのですが、世論が喚起されないまま、辛い事実を忘れたいという心理により風化にさらされています。

 

さらに日本経済のためには、オリンピックをせねばならない、そのためにはあるはずの汚染や影響をコントロールしたことにしなければならないという政府や経済界のキャンペーンが加わります。

こうなると原発事故がなんだったかの議論すら不可能になります。

韓国では大統領府に司直の手が及ぶ時代、電通労基法違反で強制捜査が入る時代に、東京電力経済産業省に捜査が一回も入っていないのは謎すぎます。

 

繰り返しますが
政府は
定時的なモニタリング以外には、放射能の影響調査はやってないです、原発事故では。
福島県で多発が確認されても、対策や追加の調査、人々の要望や対策に必要な予算をつけません。
はじめから平気だから平気だと決めているからです。

 

放射能防護のモデルは線形しきい値なしです。
影響がゼロになる地点はないのです。「他のリスクに隠れるほど小さい」として、「隠れたリスク」を無視してはいけません。
調査や対策をしないのに、思ったより影響が云々となぜ言えるのか本当にばかばかしいです。

 

繰り返しますが、調査をしないのに、なぜ影響の程度、範囲を決めれるのか。
安全危険の神学論争をされている方々は、政府が影響を否定している以前に「調査」の必要性を否定されていることに気づいていない。
これは原子力災害対策特措法など関連法規に反していると思います。

 

福島医大などは他方で「影響はない」と言いながら、ガンや病気の研究の予算がついている。しかし影響を心配して研究を始めようとしても予算はつかない。
これは不合理すぎる。
公衆衛生における予防が成り立ってない。

 

なかったことにする前にデータすら「存在させない」わけです。
戦争と福島原発事故に共通するのは、あったはずの歴史の誕生を未然に破壊して、未来を設計通り作るという恐るべきことです。
日本の平和が「安寧」ではなく「何事もない」に力点が置かれますから皆この恐ろしさに気づかない。

 

ちゃんと考えて欲しいのは、影響がバレるから以前に「影響があったかなかったか知る手段が奪われている」ことなのです。

 

非科学であり、現実の殺害です。
現実を殺された世界で、民主主義とか権利がありうるのか、左右両翼かかわらずよく考えてみてほしいです。
亡くなったジャンボードリヤールの見立てはこの点では間違ってないと思います。