細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

「天皇陛下」と呼ぶリスクー天皇制を置いた日本の国家システムのリスクへの危惧

天皇陛下」とか言ってる時点で15年戦争の開戦の詔勅を下したのがその天皇だということを忘れた平和運動ではないかと、心配になります。

 

現在の生前退位論争が、国家主義、家父長制、天皇親政を強化する憲法改正動向の最前線ともなる中で「平和運動」として命取りになりえないでしょうか。
私は現在の天皇への好き嫌いとは別次元で、天皇を配置した国家システムのリスクについて考えようと言いたいのです。
天皇を配置した国家システムのリスクとして、明治からの大日本帝国と、戦争遂行による破滅的崩壊があります。
現在の天皇は平和の大切さを語っていますが、では父のヒロヒトの治世に起きた問題をどう考えているかよくわかりません。
政府、政治家、企業、日本人全体も戦争体験の風化により、実際に天皇を配置した国家システムがどのような災いをもたらしたか無自覚な状況にあると思います。

天皇ヒロヒトは、天皇メッセージにより、日本本土と日本を守るためなら沖縄をアメリカに引き渡してもよいという意思を発したことが歴史的に明らかになっています。これは戦前戦中ではなく、戦後のこと。
これらについて、いま沖縄が政府にないがしろにされている事実を見れば、私たちや現天皇は考えるべきではないでしょうか。
なぜ天皇戦争責任を問われなかったか、降伏が遅れ、空襲、沖縄戦、原爆という惨事を招いたか、そこに天皇は全く関係ないのか私には疑問です。
また、天皇がいくら慰めや残念な気持ちを述べても政府はアジアへの加害責任を終わったことにするのはなぜか。空襲被害の補償は?原爆症認定はと問いがつきません。

 

さて自民党国会議員が「天皇が父の大家族である日本」とか言ってる時点で、自民党天皇中心の国家幻想を強く持っていると思います。

一部の議員の暴言に思えないのは自民党憲法改正草案に「天皇を元首とする」という記述があり、また家族の大切さや道徳心愛国心への傾斜も見られ、天皇制と家父長制の強化を何らかの理由で願っている憲法改正草案に見えるからです。

たぶんそれは国防の強化と福祉に対する国家の責任軽減、治安や統制の強化などが統治目的なんだろうと思います。

 

戦前の日本は「天皇は政府機関の一部に過ぎない」と相対化しようとしましたが、天皇親政の欲望と重臣軍部による天皇の機関としての利用が相まって戦争になりました。

つまり、時の権力者が邪悪であれば、天皇への好意的な声をいくらでも利用して、扇動しうる。
天皇が平和だとか優しいだとか素晴らしいという国民の声があればあるほど、天皇の敵を指定する政府の意思決定を助長する恐れがあります。戦前に天皇を慈愛に満ちた寛大な父として、アジア支配のイデオロギーにしたことは歴史的事実です。
陛下と呼ぶ声がそのような事態を招かないかどうか。
日本は原子力発電の国策や日米安保という国策を変更できない国です。
日本人にそれらができたのなら、天皇を利用されず天皇を自分たちでマネージメントできるといえるかもしれないが、そんな力は今の日本人にあるか疑問です。

 

今の象徴天皇制は、天皇に国事行為しかできないという制限をかけ、議院内閣制のもとに置かれていますが、「国民の総意」に最終根拠を置いています。
今や天皇制廃絶の声は小さく、天皇を慕う声が左派やリベラルにまで伸長しており政権の工作によって、天皇制が危険な方向に向かう恐れはゼロではないと私は心配しています。