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細々と彫りつける

Concering poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

民進党の後退と、改憲阻止と選挙に対する私の反省と、今後の憲法議論の展開と

民進党は、改憲阻止で野党共闘を戦い、票を獲得したわけだ。
3分の1を取れなかったから、改憲阻止は極めて困難ですと謝って今後民進党はどうあるべきか党員や選挙民に聴くべきであろう。
それをせず、改憲阻止なんか言ったかな的に代表選挙候補者がしらばくれる。
選挙民が離れてくのは無理ない。

改憲阻止が事実として可能か不可能かはあるとしても、それをむねに戦ったのだから、けじめはつけるべき。

要は野党共闘路線自体に、そこに改憲阻止という巨大な課題を載せたのが無理だったのか。しかし自民党政権が目指す憲法改正の方向性は危ういのだから、野党がそれを監視するのをやめてはならんと思うが。

私は自民党政権憲法改正の危うさに警鐘を鳴らし、政党の欺瞞は嫌だけど選挙が大事だと言ってきたので、このような事態になり、本当に悔しい。悔しいだけでなく、自らの甘さを反省しなくてはと思っています。

改憲阻止の可能性は非常に厳しい。また、野党内、民衆内でも憲法をどう考え何を大切にするか全く一枚岩ではない。
憲法の本質を損なわない、またさらに強めることのできるような議論をすることで与党を凌駕するしかないのだが、できるか否か。

 

単純な護憲と、改憲の綱引きからだけでは、選挙結果や世論の状況を理解できない気がしています。

憲法を根本から見直すことに、世論は抵抗がない。

しかし世は人権や民主主義に理解のない、どころかそれを憎むような声さえ強い。

その意味で憲法は本当に火にかけられようとしている。

 

あまりにも厳しい世界だ。

この試練に私は、私たちは耐えることが、できるのだろうか。

柱はやはり人権を守り育てる憲法議論ができるかにかかっているだろう。

 

私たちは、戦後の平和主義の本質を理解しているか、それは何だったか、それが今も議論に耐えうるものか、試されているわけです。

戦後の日本やアジアの人々が戦争の被害を受け止め、さらに人道について思考してきたことが、今後の世界にも生かせるか、71年目のリレー走者である私たちが重い課題を突きつけられているのでしょう。

 

私たちは、様々な矛盾の中で作られ、維持され、ある意味では骨抜きでさえあるような憲法を、いや憲法体制をどのように考えているのか。

いったん、この憲法や社会はガタガタに壊されて、地に堕ちるという最悪の恐れもあるかもしれません。

それでも目覚めないならこれが本当に終わりです。

ならば

地に堕ちても私たちは、未来の世代は生きていくわけで、憲法が壊されても、絶やすべきではない理想、普遍的な理想、を考える機会なのかもしれません。

これはいわば最悪の想定ですが。

 

つまりそれは、憲法に書き込まれているが未だに実現されていない価値を考えることなのかもしれません。

 

悲壮で肩の凝る文章ですいません。

いつもこのように青ざめながら考えています。