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細々と彫りつける

Concering poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

宇宙のように果てしなく広がり続ける魂の裂け目と孤独ー川上弘美 『ニシノユキヒコの恋と冒険』を読む

川上弘美 『ニシノユキヒコの恋と冒険』 | 新潮社 shinchosha.co.jp/sp/book/441203/

文庫本を古本屋で安く買い、読んでみた。川上弘美は特に好きな作家ではない。
ニシノと交際した女性10人が、ニシノを語る短編のあつまりが1つの長編になっている。

 

ニシノはたくさんの女性と付き合っているが、実はギリギリのところでは、女性がニシノに愛情を持てず、またニシノも愛情をちゃんと持つことができない。
これは何だろうと考える。

 

ニシノは、核の部分で何かが欠け落ちている。アマゾンでは、光源氏と重ね合わせる書評が目立ったが、そのようなもののあわれとか流麗さとは別ものだと思った。単にうまくたどり着けない人である。

 

人間が人間として大切なものにたどり着けるかどうかは、能力や外見、金銭の多寡と関係ない。そうか能力とは関係ないなら平等なのか。そうではない。たどり着けない人はたどり着けないし、たどり着く人はたどり着く。
なぜそうかはわからない。

 

つまり残酷なのだ。


私はいま独身で、子供連れやカップルやいろんな人を見ると、自分はそうなろうとして、ならなかった自由な選択があったのではなく、なんだかうまく行かず今こうであるということを思う。
このままずっとこうであるか、誰かと巡り会えるかはわからない。

1人のままでも全く辛くないかもしれないなら私はニシノのようにならないし、誰かと巡り会えれば、ニシノのようにならないかといえば、そうも言い切れない。複数の人生の複数の場面をこの小説を読むと思う。
それはまるで平行世界のようだが、平行世界のどれかを人間は選ぶことは本当はできないのだ。

 

私はニシノに、深い裂け目のようなものを見る。私にも深い裂け目がないと言い切れない。深い裂け目からは人間への切望と、人間への拒否が同時にあらわれる。つまり、人の一番近くまで行けないような。
それはニシノが深い傷を負ってしまい、本気になることができないようになったからかもしれない。

 

私は女性ではないから女性側からうまく感想は書けないが、女性がニシノに決定的に興ざめしてしまうのはニシノのこの愛の不可能性に気づいてるからで、気づいて、どうにかできない深い困惑がニシノと女性の間にまるで宇宙が膨張し続けるように広がるのをどの女性も感じるのだ。

 

この裂け目はニシノが感じが良かろうが、女性がニシノに良いものを感じようが乗り越えることは難しい。
愛というものが、相手の不完全性こそに、尊いものを見、その尊いものを通して、自らの不完全性の受け入れがあるとして、ニシノにある裂け目は、不完全性ではなく、あまりに完全なものだ。

 

女性たちがニシノに抱く困惑と絶望をわかるとは言えないが、どこかで、女性はニシノが他人を受け入れられないことに気づいている。
それを知ってなお、ニシノとかかわるのは、非常に負荷が大きいだろうし、知らないでかかわることはできないのだ。

 

またニシノも、相手にそのような負荷を与えることをどこかで知るからこそ、ニシノは渇望を続けながら結局誰をも絡めとったりできない。
小説には小説ならではの極端さがあるものの、私はこの小説に深刻なものを感じざるを得なかった。