細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

この国のあり方=憲法を根底から覆されないために、基礎的な社会の仕組みをまず認識し、今何が起きようとしているか、感じ考えることの大切さ

本当に憲法改正をされかねないからこそ、他の問題より、より分かりやすい形で、改憲阻止を訴えねば後悔することになるだろう。


あっという間に参院選、あるいはダブル選挙はくる。

そのあとの発議がなされれば、国民投票もきてしまう。


法律を作るのは何のためか。

政府の行為は法律がないと動かせない。橋が何メートル、建物高さ何メートルまで、耐震性はどれくらいこんなことも法律で決めている。まず私たちのお金=予算を使う範囲を適切に決めるために法律があることがわかってない。政治家や企業や官僚はそれを自覚していて、だからあらゆる手で自分たちの利害にかなう法律や予算をつくる。

だが、私たちはこの仕組みをちゃんと自覚できてはいない。



法律と予算、その修正、改廃は議会で決める。デモでは決めない。デモは議会がちゃんと動かない時、いざとなればお前たちを支持しない、という見せしめにやる。見せしめは議会に民意をしらせるが政府与党が無視したら安保法のようなことになる。

そして安保法はしばらく廃止されえない。少なくとも野党は過半数を持たないうちは無理。


だから安保法廃止運動で活躍した人もそうでない人も、それがいったん区切りのついてしまった運動だと理解する必要がある。

次に政府は野党の反対を押し切って個別法を作るのは面倒になった。だから憲法を変えることにした。

憲法はこの国のあり方を決める一番偉い法律。法律の中で一番偉い法律。だからこれを変えたらすべての法律の意味を転換できる。一回で。憲法は全ての条項が、緊密に連携している。つまり全ての条文が重要な臓器。さらに人権や平和に関する規定は憲法の頭脳と心臓。わずかな改正でも意味が変わり兼ねない。その点あまりに古い条文を改正したアメリカや東西統合をしたEUの国々の改正とは意味が違う。


ゆえに自民党憲法改正をしたいのは、彼らの側に都合の良い国家を作るための革命だと思うべき。

反動革命である。

私たちが政府を縛り動かす主人公ではなく、政府が私たちの権利を縛りしたいことをする主人公になるのだ。

イデオロギー別なくむしろ社会に関心がある人もこの根本がわかってない。


許しがたい。


憲法は先ほどいった、橋や街を作る法律の根拠になる法律である。

この憲法が国家に奉仕する中身になれば、町も行政もなにもかもが向こう側に都合の良いものになり、私たちの権利は顧慮されなくなる。

早くこれを理解してくれ。

とんでもないこととわかるはずだ。


憲法改正発議ができるのは憲法に書かれているように国会議員だ。

この国会議員憲法を大事にしない人がしめれば、憲法改正発議ができてしまう。

そうされるもされないも

残念ながら次の選挙にかかっている。


なぜなら、国会は、私たちの権利を実現する、そのための法を作り政府の予算を監視し、憲法改正を行う、防ぐための

つまり

「国権の最高機関」

憲法に書いてあるからだ。


憲法を知らないので

その仕組みがわからないので

私たちは民主主義の基礎を

手放そうとしてる。


憲法は敵対する党派思想を殲滅せず、互いの意見や考えを保障し、議論するためのベースである。


その憲法を経済的自由に精神的自由が優越する理由や、個人を尊重する憲法条項を知らない総理が改正することを目指している。


この国のあらゆるイデオロギー党派は、安倍さんが本当は何をしようとしているか知らないか、知っていてもそのとんでもなさを言葉にしない、できていない。

それは本当にだめなことだ。


本当の危機に対処するどころか事態の深刻さすら踏まえられてなくて何をどう戦うつもりか。


しかもみなさんが気付く前に、与党は選挙を画策し、野党は遅くではありながら迎え撃つ準備をしている。

またわずかずつ安倍内閣、自民党の支持率が低下しているのは、安倍内閣がダメであるヤバイと社会に暮らす人々は感じつつあるからだろう。


一番気付いているようで気づきが弱いのが社会に関心があり変革を目指すみなさんの方ではないかと私は感じざるをえない。

政党政治家のような権力闘争のリアリズムも、庶民のような生活リアリズムも持たない人々は実は今起きていることの本質的なリスクを感じとれていないのではないか。


私が安倍政権の、憲法改正のリスクを実感したのは、私が極めて古典的な政治学教育を受けたこと、私が障害者であり、政府や経済社会の排除圧を感じやすい位置にいること、311以降の社会運動の中で議会請願などで議会と法律と予算の本質的重要性に気づいたこと


私が個人主義的で党派性が暑苦しく感じるアスペルガー者であること、、


私もまた政治学を学びながら政治的無関心層として20代まで過ごしてきた。しかし知的障害の支援をし、挫折し精神疾患を患う中で、生きる為、社会制度を知らなければならなかった。

そして30代の半ばに社会福祉士を取り、法改正などのたびにあおりを受けるのなら益々法制度への認識を深めねばと。


また障害者問題を考える中で、私が当事者であること、ものごとを変える本当のプレイヤーであること、とは何か、また、私が参加する中で私を組み替えるにはどうしたらよいかを考えていた。


311以降の様々な運動に身を投じ調査を深める中で制度を知り制度を変えたり守ったりするために必要な認識に思い至った。