【エッセイ】自分のことを、受け入れるには受け入れられるには。
私は、顔が優男系で、動きもゆっくりしているので、優しそうに見られるようです。
外見で判断する人は、私を優しい人だと思って話しかけてきます。
むろん優しさがないわけではないです。
が、
私は自閉症スペクトラムで、非常に頑固です。
実はまるで融通がきかず、さりとてそれをうまく表現できず、苦しんでいます。
また、人の意図が正確に読めず不安に満たされていたりします。
おしゃべりは好きですが、これは、昔いじめられたりしたため、いじめられたりしないように武装する意味でもあり、だから実はいろんな気持ちを溜め込んで苦しんでいます。
外出中によく頭痛や疲れを感じるのは、やはり神経を酷使しているからでないかと思います。
あと、私はものすごく気ぐらいが高いです。
働いていないのは、さっき書いた頑固さ、おびえやすさ、疲れやすさ以外にも、気ぐらいが高すぎて、他人や自分を許せなくなり、そのせいで、かんしゃくを起こしたり、グッタリしたりするからです。
こういうことは説明をしなくても分かる人は分かりますが、他人との距離感がいびつな人や、他人の内面をうまく理解できない人は、理解しないので、気づかない間に私を追い詰めていきます。
私は恐怖を感じて、防衛行動に出ます。
怒ったり逃げたりするのです。
父親は私と同じく頑固で融通がきかず、相手の気持ちを読むのが苦手なので、10代から最近までよくぶつかってきました。
こういうことを書くとさらに物分かりの悪い方が誰にでもあるよ〜と、気休めにならない気休めをいって慰めようとします。
しかし、誰にでもあることにしては苦しすぎるから診断を受けたのです。
私には他人をうまく受け入れられない発達特性がある。
しかしそんな私にもたぶん優しさはあります。
それは人間の欠点や繊細さに対する自分なりの経験から導いたものです。
私は他人に愛され大切にされることに本当は飢えています。
だから、器用ではないのに、恋愛したり友人を作っては相手を深く傷つけたり自分を傷つけたりしながら、人間について学んできました。
結論はないけど、私の独自の孤独を私が受け入れていくとき、同時にもしかしたら、私が根底から受け入れられる人や機会に巡り合えるのかもしれない、そんなことを40を過ぎた今でも考えたりしてしまいます。