細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

21世紀の課題は自治の回復。20世紀戦争の世紀を乗り越えるために。

いま私たちの国で何が起きようとしているかについて考える前に
これまですでに何が起きているかから考えれば容易に想像がつくことばかりだ。

私たちはこれまでという歴史についてしっかり考えることができれば、今後の難局について予想しそれと対峙することができる。
しかしこれまでの歴史の負の側面にも目を向けなければ難局を前に
「まだ大丈夫なはずだ」
「ただちに影響はない」と言い続けてしまうだろう。

かつて保守系の論者はドイツと日本の戦争犯罪は違うので、戦後の反省が国によって違うのは当たり前で、ドイツを真似する必要はないと盛んに宣伝していた。
その頃私はまだ20代であったが非常に違和感を持ったことを覚えている。

その後ヤスパースやハンナ・アレントという哲学者たちが「加担者の責任」について子細に議論をしていたこと、また戦後シュピーゲルハイデッガーナチス党に加担したことを問い「当時としては間違っていなかった」とハイデッガーがいっていたことなどを見た。そして思う。当時戦争でどうふるまったかどう加担したかということももちろんだし、加担したり惨事を引き起こした当事国の一員として、戦後にどう考えるかという意味では、日本もドイツも変わらないといわざるを得ない。

つまり保守系の論者たちがドイツとはちがうからとか当時は仕方なかったということをもって、戦争に加担したという現象の考察をやめ、それどころか、戦争を美化して、戦争の遂行者を免罪するという方向に進んでいくのを現在目の当たりにする中で、ああこれはやはりダメだと思わざるを得なかった。

これは左派的な見方からのみそういっているのではなく、自衛隊の存在や沖縄をはじめとした自治体が苦しんでいる在日米軍の存在は本当に今の規模で必然、必要なものなのかという現実的な課題にも向けられる。
なぜなら戦争とその戦後の体制そのものの矛盾が現在の自衛隊と米軍基地問題として浮かび上がっているからだ。

これに保守系が強行つまり自国民、沖縄などの自治体住民の負担と犠牲という形でしか進めていないのはあきらかだ。

自衛隊在日米軍は敗戦以降日本の政治指導層がかつて戦った国アメリカの指導の元、導入してきた。
そこには基地の密約、核の密約があり、日本の市民や東アジアの人々があずかり知らないところで巨大な防衛ラインが築かれていった。

これ自体あの太平洋戦争がもたらしたものであったということを忘れてはいけない。

つまり自衛隊在日米軍基地こそは太平洋戦争と戦後の処理の過程で、米ソ冷戦という事情こそあれ、占領過程やその以降に生々しく築かれていったものである。
そのよう経緯があったことを沖縄をはじめ基地のある自治体の住民は生々しくはっきり記憶している。それゆえに基地への反対は激しくなるのだ。

私たちは日米合作の憲法9条を歓迎して受け入れたが、その憲法9条ができた数年後には日本政府に再軍備するようアメリカからの働きかけがあったのだ。

こういう複層的な、矛盾に満ちた戦後軍事体制は、戦争とその惨禍を日本が十分咀嚼し、とらえ返したうえで築かれたものと本当にいえるだろうか。
これは保守層だけでなく左派も含めつまり日本人全体に向けられている。
もちろん私自身もだ。

そしてその後保守政権での原発開発も始まっている。これもアトムズフォーピースに呼応したもので、原子力の平和利用というアメリカのもうひとつの核戦略に、日本の政治家実業家たちが進んで呼応したためではなかったか。
そしてその国策民営事業がとうとう破綻してしまった。

破綻はないと当座しのぎをし、負担を市民に押し付ける。
このようなことでは国家は長く持たないだろう。

市民や住民の過大な負担は人々の生活を苦しめ疲弊させ共同体を劣化させる。そうなると社会は成り立たないからだ。



さて、このように問題含みの歴史の果てに日本は海外に武器を向けないという方針自体を撤廃しようとしている。

日本は世界の様々な紛争解決にいかにどう努力するかといった課題についても武器を持った自衛隊が海外に派兵されるということが旧来的な米国主導の国際軍事貢献には沿うとしても、貧困や宗教的民族的苦悩から過激化する武装集団が散在し、攻撃されればされるほど頑なになり反撃をする20世紀後半から21世紀の世界情勢において、本当の問題解決になるのか。

また中国などとの対立をあおりながら、沖縄に新たに辺野古基地建設をしたり、山口の岩国基地を増強して東アジア最大の基地にするということが、本当に東アジアの平和と安定につながるか私には疑問ではならない。

もうひとつ。
私は21世紀の課題は自治の回復だと感じている。
一つは資本の運動による社会的共通資本の民営化・破壊ということがある。
大阪都構想や改革派首長、政治家の地方改革は低成長社会に入った日本で、資本が人々の生活の糧そのものを収奪して、資本と国家の持続を目的とするものであろう。

次に原子力や巨大な寡占電力インフラに頼ってきたまちづくりそのものの見直しである。
ここで都市と地方は一見対立しているように見える。
しかし地方に原発を作ることは、ショーケースとして電力巨大都市を作り上げその支配下に人々を適合させるということと一対のオペレーションである。
福島事故で千葉や東京といった大都市圏までも放射能汚染圏域に入ってしまったことから見ても核災害は地方と都市という距離的質的な差異までも塗りつぶしていったといえるのではないだろうか。
その惨劇のショックの元政府は言論や制度的統制を作り出している。
この制度的統制の一つに市民への放射能汚染や廃棄物の負担の受忍や強要ということがある。
20ミリシーベルト引き上げや8000㏃引き上げはその視点から明らかである。

第三点に町は共同体として社会的な公共財を分配し、人々がともに暮らす基盤をつくるものであったものだが、その福祉的側面が破壊されている。
生活保護バッシングや生活保護プリペイド化などはその表れである。

第四に在日米軍基地の辺野古基地建設の強要に見られるように、地方自治体住民の総意として基地建設の反対が訴えられたにもかかわらず、基地建設が進められていることである。
これは京丹後レーダー基地建設などでもそうである。

国家的に戦争の反省をすすめ、その中央集権制、暴力性を改めることなしに今後の日本社会は維持不可能であろうということははっきりしている。
福島事故の汚染水流出は継続している。

住民の安全と福祉をきちんと認める中で安全保障やエネルギーの問題、福祉の問題を組み立てなおすということができないだろうか。
そう私は最近考えて居る。