細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

元原発技術者小倉志郎氏の証言「原発をひとまとまりとして、全貌が分かってる人は一人もいないんです。」

僕は以前小倉志郎氏の本を読んで原子力は本当に無理だなというとどめを刺された気がしたわけだが、インタビューでも彼が経験と経験から得た認識を語っているので見てみることにする。
地震が火山がヒューマンエラーがどうこうという以前の話が実は存在するのだ。

小倉志郎氏は、日本原子力事業株式会社に入社。のちに東芝と吸収合併されたのちも、原子力発電所の見積、設計、建設、試運転、定期検査、運転サービス、社員教育など原子力の各分野を経験した。退職後は平和運動の傍ら、山田太郎という筆名で、原子力が武力攻撃に弱く安全保障上最大の弱点だと指摘した論文「原発を並べて自衛戦争はできない」を書き平和運動の世界で注目を浴びた。福島第一原発後の2012年には国会事故調査委員会の協力調査員に指名され、事故調査や報告書の作成に携わった。(小倉志郎『元原発技術者が伝えたい本当の怖さ』彩流社を参考にした)


以下のインタビュー部の引用は「一般財団法人水俣病センター相思社
原発全体が分かっている人はいない(小倉志郎)」から引用した。

http://www.soshisha.org/jp/%E7%9B%B8%E6%80%9D%E7%A4%BE%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-2/%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%8C%E3%80%8C%E3%81%94%E3%82%93%E3%81%9A%E3%81%84%E3%80%8D/392-2/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%85%A8%E4%BD%93%E3%81%8C%E5%88%86%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%88%E5%B0%8F%E5%80%89%E5%BF%97%E9%83%8E%EF%BC%89

小倉 いかに核反応を制御するか、それは難しい。何しろ相手はどんどん連鎖反応が起こってくるわけだから、しかも目に見えないミクロの世界での現象です。見えないものを制御するっていうのは非常に難しいことは分かっていたんです。どうやって制御するんだろうと言うところばかりに目がいっちゃって、核分裂するとできる放射性物質に目が行かなかったわけですよ

きっと今でも多くの物理学者はこういう認識しか持っていないのではないかと思われる。
しかし小倉氏に転機が訪れる。

遠藤 会社を辞める頃に嫌気がさしていたのは、原発の危険と関係があるんですか?
小倉 こういうことなんですね。原子炉がある建物と、原子炉から出た蒸気を使って発電するタービン発電機の建物が隣り合っていが、両方とも放射線管理区域なわけですよ。その放射線管理区域の中で私自身働いてきたんです。放射線管理区域と言っても二種類ありましてね、点検のために機器や配管を分解しないときは人が行き来する空間に放射能は出てこないわけですね。それらを分解すると、中から放射能がチリとか放射能の混じった水として作業空間に出てくるんですね。床が放射能を含んだ水で濡れていたり、舞い上がったほこりに放射能が付いています。分解する前は普段の服装で歩いていても放射線は浴びるけれども、吸い込んだりする恐れはないわけです。ところが分解すると体の中に取り込んじゃう恐れがあるんです。

つまり放射線管理区域は機械を修理して弄っているとそこから放射能が出てきてしまう。
こういう場所で作業をする困難があるわけだ。
とてもじゃないが、除染や事故収束ということが非常に困難に思えてくる。なぜなら普段の壊れていない原子炉ですらこうなのだから、爆発して放射線源がチリジリに飛散した場所での放射線管理とか放射線防護はほぼそういうマニュアルも有効な方法もないのだ。さらには通常の
原発労働者もむろん被ばくして病気になるものがいるのである。

普通の放射線管理区域ではなくて、その部屋の中を放射能がチリとなって舞ってるようなところは、汚染管理区域にして特に厳重な防護をして放射能を取り込まないようにしています。

放射線管理区域には二種類あり、外部被ばくが主に心配されるものよりより厄介なのがこの汚染管理区域だ。つまり放射線が通過するだけのレントゲン室は単なる放射線管理区域だが、放射性物質のチリが空気中に舞っている場所はより厳重な防護をしなければならない。
つまり事故でひどく汚染された場所や原発事故収束作業現場はこちらにあたる。

普通の作業の装備とは違うわけですね。例えば放射性の微粒子を皮膚に直接つけると、毛穴から入っちゃうんですよ。呼吸すると肺に入っちゃう。それを防ぐのが大変なんですね。ですから、汚染の度合いによって違うんですけど一番汚染のひどいところは全面マスクです。それはゴム製の防毒マスクみたいなもんですね。非常にやわらかくて薄い縁の方がぴったり顔にくっついていて、プラスチックの透明な窓および高性能フィルターがついています。作業着も普通の作業着じゃないです。フードが付いてズボンまで一体で、もちろん前にチャックがついているんです。

毛穴から入るといっている。これは大げさではなく霧状になっている汚染物質は皮膚を通じて経皮から被ばくすることがある。放射性物質も多くは重金属の微粒子で小さいものはマイクロメーターレベル。1ミリの1000分の1の単位。毛穴は汗などの水分が付着している。反応性の高い重金属なら付着して結合してしまう。これは科学的に容易に推測可能だ。

毛穴調査ツアーに参加した20代の女性の中で、毛穴の目立つ人と目立たない人それぞれの毛穴拡大写真を比較。目立たない人の毛穴は平均54マイクロメートルだったが、目立つ人の直径は平均46マイクロメートルとあまり差はなかった。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/79889/index.html

風邪などで使うマスクの防塵性能を示す指標がある。
すぐに理解できるが毛穴より、微小粒子のがもっと小さい。毛穴という大きなクレーターに小さな放射性の埃が転がり落ちていくさまを想像すればいいだろう。

1.BFE(細菌遮断率約3.0um)
2.VFE(生体ウイルス遮断約0.1〜5.0um)
3.PFE(ラテックス微粒子ろ過率0.1umラテックス)
http://www.chugai-kouki.co.jp/environmental/mask.html

また非常に小さい微粒子はマスクが高機能でも吸い込む恐れがある。
PM2.5というのが恐れられているが爆発で飛散した放射性微粒子の中にはそれより小さいものもざらにある。


さて小倉氏の証言に戻る。

手はまず薄い綿の手袋をします、これは汗をとるためだと思います。その上に薄いゴムの手術用のような手袋をして、その上にまた同じゴムの手袋を二重にするわけです。その上に普通の軍手ですね。だから四重なんですね。手が一番ものに触れるでしょう。部品、工具、あるいは、計測器など、何をするにしても、手が一番ものに触れるんです。つまり手が放射能で一番汚れやすいわけですよね。作業着と手袋の間には、シールテープを貼って隙間からチリが入らないようにします。

絶対に微粒子が付着したり中に入ったりしないように細心の防護をしていることがわかるだろう。これは特別に怖がりではなくて数十年の原子力開発の中で定められた装備である。放射線管理区域の外部被ばく線量は3月あたりで1.3mSv。そして年に直すと5ミリシーベルト強。20ミリシーベルトなどという基準までは安全だといった政府がいかに既存法令と整合がないかわかるだろう。

a)外部放射線に係る線量については、実効線量が3月あたり1.3mSv
b)空気中の放射性物質の濃度については、3月についての平均濃度が空気中濃度限度の10分の1
c)放射性物質によって汚染される物の表面の放射性物質の密度については、表面汚染密度(α線を放出するもの:4Bq/cm2、α線を放出しないもの:40Bq/cm2)の10分の1
d)外部放射線による外部被ばくと空気中の放射性物質の吸入による内部被ばくが複合するおそれのある場合は、線量と放射能濃度のそれぞれの基準値に対する比の和が1
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-04-05-03

無茶苦茶作業しにくい。なぜなら、ものを持ち込んだらすべて汚染物質になるからである。これは「穢れ」の観念からではなくて、あとで検査するとわかる事実なので、穢れや放射能忌避ではない。そういうことをおっしゃる論者はこのような周知の原子力労働の実態を知らない上流階級か何かなのにちがいない。

全面マスクすると同僚と話をしようとしても、声がはっきりと聞こえないわけです。書類を持ち込むとそれに放射能くっついて汚染してしまい、外に出せなくなっちゃうわけですよ。

困ったことに汚染がひどければひどいほど作業時間は限られるのだ。福島第一原発当時に作業にあたった吉田元所長らは放射線量の上昇に電源喪失、原子炉内の水位や圧力を知る計器が作動しなかった。それでもベントしたり注水したりしていた。

しかも、放射線の線量率が高い所は作業の時間制限があるわけですよ。一時間入っていられるところはいいですよ、まだ。ひどい所は五分ぐらいしかいられないんです。

過酷事故が起きたら作業者や住民は過酷な被ばくを強いられる。普段でも時間制限がある被ばくをノンストップで浴びせられる。これだけでも原発の稼働によって事故を起こすことが容認できない犯罪であることがわかる。

放射線管理区域に入る前に計ったホールボディーカウンターの数値と作業が終わった時の数値の差が、働いている間に体の中にとりこんだ放射能の量です。放射線管理区域に入る人は、過去に被爆した線量データを記録した放射線管理手帳を持っているわけです。
化学プラントとか火力発電所とか放射能のない施設での保守点検の作業では、こんなことは必要ありません。要するに放射能があるがためです。それで「原子力産業に将来はないな」と思ったんですね。

巨大プラントは維持管理が大変で危険がある。原子力の場合は放射能があり作業も思うようにいかない。これでは管理保守点検はずさんになる。ずさんに管理され、あるいは想定外の危険が襲った原子炉は事故を起こす。原子炉は小倉氏ならずともこれは無理だと思うのではないだろうか。

彼はさらに原爆症認定訴訟に衝撃を受け退職後、自分が浴びてきた放射能の正体を突き止めようと学習をする。

『死に至る虚構』は、アメリカの核施設とか核実験場を中心にした、半径百マイル以内の地域とその外の地域とでは、発病率がはっきりと違うという統計です。『放射線の衝撃』は、被曝した人間の生体が放射線によってどういう影響を受けるかのメカニズムを生理学的に分析した論文です。例えば遺伝子の分子構造が放射線によって破壊されるとか、放射線によって人間の体の中の水分が分解されて活性酸素ができて、それが細胞を殺すとか、いろんなメカニズムで人間の健康に影響を与えるんです。この二つの論文を読んで、原子力利用の危険性の本質はここだったんだと、定年退職してやっと理解しました。

放射線の危険が統計と病理学の両面から分析されていることを知る。つまり放射線の危険はある部分まではわかっているというべきなのだ。

そしていわば原子力のプロであった小倉氏をさらなる衝撃が襲う。市民が被ばくに対して無防備に放棄されて市民生活を送らざるを得ない現状であった。放射線管理区域の中で働いていた彼にとってはそれは信じがたい光景であった。

原発の作業経験から考えると、市民全員に放射線管理手帳を配って全面マスクしていないといけないレベルです。そういうところに人が普通に暮らしているんです。なんていうか、私が充分な装備をして働いていたのと同じような環境で、放射線管理手帳ももらわずマスクもせず、線量計も持たずに暮らしている。これは本当に大変なことです。
郡山市在住の友人の話によれば、市が一軒一軒に何万円かずつ配って「自分のところは自分で除染しなさい」と言っているそうです。そんなこと素人ができるわけないでしょう。各戸に市は放射能の測定しに来ないそうです。そうやってお金もらえるということで、文句を言わない市民が多いそうです。それと公共のエリア、例えば幼稚園の園庭とか小学校の校庭とか公園では、地表を削り取っています。そうすると放射線量が下がりますよね。その削り取った土をその隅っこの方に深く掘って埋めて、表面に土をかぶせて境界がわからないようにしちゃうんだそうです。
市民の多くがそんなやり方で安心しているという話を聞いて驚きました。それはまずい。だって、集めた表面の一番汚染している土を集めると、そこに高い汚染が起きますよね。後で最終的に集める場所をどこか決まったら、それをまたまとめてそこへ移すんでしょうが、高い汚染の土をどこに埋めたか分からないようにしてしまっては後で困るでしょう。千葉県に住む友人に福島ではそんなことやってるんですよって伝えたら、その友人が調べて「千葉県も同じだ」と言うのでまたびっくりしています。

彼のインタビューだけではなく私は複数の潜入取材記や原子力労働者のお話を書籍やお話で耳にしたが小倉氏が特別に大げさに騒いでいるという印象は私にはない。
小倉氏も騒いでいるという印象ではない。なぜ自分が職場で教わった放射線防護が一切ないのかそういう驚きと悲しみである。

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しかし小倉氏の話はエンジニアとして原子力は無理だと思ったもう一つの理由がある。
それは原子炉が迷路のように複雑な、工業機械の複雑に組み合わされた迷宮だからである。

巨大な原発の運転は非常に難しいわけです。原発の運転は、当直長が一番てっぺんにいて当直主任そして担当といます。原発は一日でパトロールして回りきれないくらい広いんです。原子炉建屋というのは窓がない。そして地震に対して強くなきゃいけないというから、壁で区切られた部屋だらけで中は迷路みたいです。タービン建屋も同じです。その中は、今お見せしている概略フローシート(二〜三p写真)にも書かれていないシステムがいっぱいあるわけですよ。補給水系とか冷却水系とかあるいは動力ケーブルから制御ケーブル、いろいろなデータを集める信号ケーブルとか、空調設備とか、排水配管とか、動力に使う圧縮空気の配管とか、配電盤とか、このフローシート中に描かれていないわけです。だから、実際の原発の中はもっともっと複雑

これを読むと汚染水を今どうやって管理しようとしているのか気が遠くなる。

真空度が変わるということは、下流側の低い圧力のところへ蒸気が吹き込んで一定の出力を出すためには、蒸気の流量を真空度に合わせて調節しなければならない。つまり蒸気の流量まで常に変動している。ということは、原子炉内の発生熱量、すなわち、核反応も変動しているわけです。人間の血圧だって常に変動しているでしょう。心臓の鼓動だって早くなったり、ゆっくりになったりします。体温だって変わるでしょう。それと同じように、原発の心臓部である炉心の核反応も外の海水温度の変化によって常に変動しているわけです

こんなに複雑な機械が自然現象に常に左右されている。それは水で温度や圧力を管理し放射線を遮蔽し、燃料を守っているという機械の宿命である。

この発電所は百十万キロワットの発電所ですっていったら、送電線には常に百十万キロワット送らないといけない。約束した電力は絶対に保たないといけない。そのために、蒸気の絞り量を加減する、つまり、蒸気の流れをコントロールするバルブは常に微妙に動いているわけです。発電所っていうのは、生き物のように常に微妙に変動している。出力一定だったら常に運転状態が同じだろうと思っていたらとんでもない。

つまりこれは原子炉が経済に合わせて自然のプレッシャーに耐えながら、無理に稼働を続けているということでもある。

蒸気を水に戻す復水器、コンデンサーって言いますけど、そこに海水を通してそこで蒸気を水に戻して真空がうまれるわけですよね。海水を通しているところって言うのは汚れるんですよ。海水だからいろいろ不純物もあるし。コンデンサーっていうのは、チューブが何千本も入っていて、そのチューブの中を海水が通るんだけど、そのチューブに海水の汚れがつく。そうすると冷却がうまくできないから、時々ね、逆方向に流すわけです。バルブを切り替えて。バルブの切り替えを定期的にやるわけですよ。それをタイマーを制御回路に入れておいて自動でやるわけです。ところが、そのタイミングがおかしくなることがあるんです。プログラムされた切り替え時刻でない時に切り替わちゃったりして、その原因がつかめないんです。どこのリレー(電磁石とスウィッチを組み合わせたもの)が狂ったのか探すために、記録計を持って行ってつないで調べたりします。そういう訳の分からないことがよくあるんです。

チューブが何千本も入っていてそのチューブは海水の汚れで作動しにくくなる。切り替えをしようとするタイミングもくるってしまう。つまりこれは津波が来るとかそういう問題ではないのである。吉田調書には海水を取り込むポンプのモーターが津波の引き波で空回りするのを心配する場面が出てくる。しかし普段もっと穏やかな波の時にもトラブルは起きる。そしてあまりにも複雑で大規模な機械のため専門家が見ても原因がわからない。

発電はちゃんとしてるんだけれども、いろんな付属の機械類が予想外の動きをするんです。その原因を調査したり、「ここはこうだからこうですよ、ここを直しましょう」とアドバイスする運転サービスって事業東芝が始めたんですよ。私はその仕事の現場の窓口係でした。ある時、中央制御室から「原子炉給水ポンプが『リーン、リーン』と虫の鳴くようなような音を出している。調べてくれ」という連絡が入ったのですよ。でもポンプはちゃんと動いているんですよ。ただ普段と違う音がしてる。この原因は何だろうと、私が現場に行ったら、振動も無く、性能にも異常はないんだけども、確かになにか『リーン、リーン』とかいうような不思議な音がしている。気になるから調べたけれど、とうとう分かりませんでした。

ほとんどカフカの小説を思わせる。この音はいったい何なのだろう。

そして。
なぜこんな不可解なことが起きるのか。
原子力発電所は複雑すぎるのである。

原子力発電所は、無数の会社と無数の人たちが部分部分をつくって、組み合わせてやってきたわけですよ。原発をひとまとまりとして、全貌が分かってる人は一人もいないんです。そんなもんなんですよ。プラント全体が危ういような事故が起きた時に、全部が分かる人は一人もいないんですよ。

電力会社だけが原子炉を設置したわけではない。原子炉を作るのは原子炉メーカーである。しかしそれは本体の話である。無数の配管、配線、こういうものは無数の設備会社やプラント技術者がかかわって配置され作られている。またコンピューターや計器類の専門業者も加わる。土台や基礎の建設、建物や地下の設備などを設置するのは建設会社だ。日本には独自の下請け重層構造があり、部品は無数の下請けメーカーが作り、それを設置するのは別の設備会社の下請けである。そしてこれを放射能の被ばくを受けながら点検し修理するのは現場の下受け作業員だ。下請け作業員の待遇はよくなく、被ばくと疾患の関係はほぼ立証できず泣き寝入りなどを強いられる。これは戦前からあった炭鉱労働のシステムと同一だといわれている。

こういう施設を何年もかけて無数の人がかかわって建設し、無数の人が何十年もかけて維持管理している。事故は起きる。小さい事故は世間に報告されない。重大な事故も施設外に被ばくをもたらさなければ大っぴらになることはない。こういう場所を天下りしたり、利益相反関係にある規制監督庁や有識者と呼ばれるものが書類上の審査をする。
そして総理が世界一安全だという。

なんという欺瞞であろうか。

例えば、当直長は原子炉取扱主任技術者なんですが、こういう操作をすればこういう結果になるというプログラムは頭に入れてるんでしょうが、原発内の全ての機械のどこにどんな弱点があるかという詳しいことは分からないでしょう。だから事故が起きると混乱するんです。 私は原発が通常の出力で運転している時も現場に駐在していて、中央制御室から問い合わせがあったらすぐ現場行って調べる。そういう仕事をしていたわけですよ。パトロールもしていましたが、一日で回りきれませんから、今日は原子炉建屋を回る、次の日はタービン建屋を回る、その次の日は屋外の機器を回ろうと、分けてパトロールをしていたわけです。原子炉建屋は一辺が八〇メートルぐらいありますかね。タービン建屋になると百メートル以上あります。高さも何十メートルかありますね。屋外をパトロールしながらふと振り返ってみると、建屋がなんだか不気味なものに見えたりします。

吉田元所長や様々な事故調の委員の話からも想定をしていないような複雑な問題を地震津波の大混乱、放射線で退避せざるを得ないような大混乱の中で爆発を抑えきれなかったことが語られる。
彼らが無力なだけではない。
そもそも全貌を制御している人間が誰もいないのだ。

これでも原子力を再稼働をするというなら、これはこの国の社会システムが経済原理の暴走を止められないからだ。本当に冗談ではあるまい。

原子力基本法には「民主・自主・公開」という言葉があった。

もし原発放射能の分野において、民主・自主・公開が実現されていたとしたら、こんな厄介な施設を何十基も作らなかったし、使用済み核燃料をプールに満タンに入れるとか、深刻な事故が起きていたとしても隠蔽するなどということもできないだろう。

つまり原子力は民主主義や人権と相いれないのである。
(ちなみに小倉氏は原子力発電所は日本の安全保障上最大の弱点であると指摘している)


小倉氏の経歴

プロフィール
おぐらしろう。1941年5月、東京都大田区生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程機械工学専攻修了。日本原子力事業株式会社勤務。福島第一原発建設で原子炉系のポンプ・熱交換器などの機器の購入技術に携わる。2002年退職。コスタリカに学ぶ会世話人。著作物:『原発を並べて自衛戦争はできない』、紙芝居『ちいさなせかいのおはなし』

私が読んだ本。

元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ

元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ