細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

中沢啓治『黒い雨にうたれて』・島本慈子『戦争で死ぬ、ということ』・木田元『闇屋になりそこねた哲学者』

中沢啓治著作集〈2〉黒い雨にうたれて

中沢啓治著作集〈2〉黒い雨にうたれて

普通の町の本屋で右翼本などにまじって、ピカピカの故中沢啓治氏の新刊を発見。
中沢氏の作品がセレクションとして再刊されている。
はだしのゲン」の作者中沢啓治氏のゲン以前の原爆被ばくを描いた短編が入っている。原爆症に苦しんだり経済発展の中で取り残され孤立感を深めつつあった被爆者の苦労や苦悩を社会に訴えようとした中沢氏の強い気持ちを感じる。原爆医療法の問題をいう言葉もある。幼い子供や青少年が被爆後発病したり、胎内被曝後の発病しただろうケースも描かれている。
多くの空襲のあった都市においても昭和40年代頃までスラムが存在した。広島市の中枢部において昭和50年代まで貧困な被爆者が住まう原爆スラムがあったといわれる。
これらは防火対策や再開発によって消滅してしまった。つまり私の幼いころにはまだ戦争の惨禍が都市に残っていたのである。
中沢氏自身も被爆者であり、家族を亡くし母親を亡くし漫画家として活躍してきたが01年から糖尿病を発症し網膜症白内障を併発し、視力低下して09年に漫画家を引退し、12年に肺がんで亡くなっている。73歳であった。
著者が亡くなっても大切な本は残っている。重要なことだと思う。

戦争で死ぬ、ということ (岩波新書)

戦争で死ぬ、ということ (岩波新書)

日本の対アジア侵略、原爆、空襲、特攻、毒ガス兵器開発など過去の日本国家の戦争の破たんと惨劇のルポである。
これを読む限り戦争の非業さは筆舌に尽くしがたく、特攻隊員が英霊が国のためを思って死んだなどという、死者のためにもならないだろう戦争の賛美がどれほど危険なものかわかる。
また、日本は原爆や化学兵器の開発をしており、化学兵器については製造している人や攻撃された人に犠牲者が出ている。また日本の本土で勤労動員をしていた人々が当時は何も知らないまま作っていたものが残虐兵器であったということも正直に描かれている。
連合国のおしつけだから、米国の押しつけだからといい続ける人々がいるが、その押しつけを問うためには自らの国の犯した過ちをまずじっくり考えなければならない。
日本は、核兵器を使用されたにもかかわらず、アメリカの核抑止を頼り、原発を開発した。アメリカが核兵器を持ち込んだことも歴代の首相は知っていた。プルトニウムなどの核廃棄物どころか、福島原発事故の生み出した膨大な放射能汚染について被ばくから人を守る対策をほとんど何もしていない。
なぜそうなるかということは空襲にもかかわらず戦争を続け、沖縄を盾にしてさらに原爆まで落とされたというあの時の日本の体制と本質が変わっていないからである。
自らの責任と利権を失わないために、市民やアジアの諸国民を犠牲にし、日本人もそれを信じてしまったのである。それは放射能と化学物質にまみれた全体化された戦争でもあった。
どうもあの時の戦争を他人事と思うのか、原発事故で同じようなことが繰り返されても、ただただ私たちは受け身である。私もそんなに変わらないかもしれないが小さな場所でも声を出していきたいと思う。
過去を見つめれば今がわかる良書だと思う。

闇屋になりそこねた哲学者 (ちくま文庫)

闇屋になりそこねた哲学者 (ちくま文庫)

先日哲学者の木田元氏が亡くなられ紀伊国屋でブックフェアがあり、これを買った。
私自身木田元氏の『ハイデガーの思想』や『哲学と反哲学』を読み、とりわけ前者には蒙を開かれたものである。
木田氏のハイデガー解釈にはおそらく江田島で原爆を見たこと、敗戦を迎えたこと、戦後の混乱期を闇屋をして生き抜こうとしたことなど過酷な体験からくるある種の生々しさがあるのだろうと思う。彼は若いころ不良だった喧嘩は負けなかったといっているが、苦しみや嘆きをそのように外界に放出しながら、自らの苦を解明しようと哲学者になった経緯が非常に明快に明るく語られている。暗さがあるのだが、ないのだ。
同時に木場深定、三宅剛一といった人々に一語一句を大切に読む訓故注釈的な本の読み方を教わったり、斎藤信治というヒューマンな実存哲学者に助けられたり、細谷貞雄、徳永洵や生松敬三といった優れた先輩や同輩と学習や読書を繰り返している。
つまりいま私たちが失っている。言葉を大事にするということが身についている人なのだ。自らの経験から世界を発見し、世界に触れた実質を言葉にするとき、なるべく丁寧な言葉に置き換えること、このシンプルでまじめな探求を才気と明るさと努力で、仲間や人々とともにやってきたこと。
木田氏が滝浦静雄氏や様々な人と行ってきた多様な翻訳。木田氏がほぼ独学で様々な言葉を身に着けたこともわかり勉強法の参考にもなるだろう。

こういう学ぶことへの真摯な姿勢が世界から失われて久しい。
木田氏は比較的わかりやすく明るく書いた人であるが、本質には厳しい学問姿勢があった。

木田先生安らかにお眠りください。