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細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

最高裁「外国人は生活保護法の対象外」判決にコメントする

最高裁が初判断「外国人は生活保護法の対象外」 NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140718/k10013123601000.html

18日の判決で最高裁判所第2小法廷の千葉 勝美裁判長は「生活保護法が保護の対象とす る『国民』に外国人は含まれない」とする初 めての判断を示しました。 そのうえで「法的保護の対象を拡大するよう な法改正もされておらず、外国人は自治体の 裁量による事実上の保護の対象にとどまる」
と指摘して、
2審の判決を取り消しました。

今回の最高裁判決はあくまで法律の解釈を示 したもので、

自治体が裁量で行っている外国人への生活保護には直ちに影響を及ぼさない ものとみられます。

原告弁護士が判決を批判

判決について、原告の弁護士は会見で「法律 の中の『国民』ということばだけを見て、実 態に踏み込んでいない形式的な判断だ。外国 人に生活保護を受給させるかどうかは行政の 自由裁量だと最高裁がお墨付きを与えるもの で問題だ」と批判しました。


永住外国人生活保護訴訟最高裁判決の言渡がありました。残念ながら http://t.co/JayTgH0vhS via @utmgl

現行の生活保護制度の準用は変わらないというところで、落ち着いている人々は、心して読むといい。最高裁の判断は事態を悪くするかも知れないと感じた。

私ははじめ、最高裁の判決を聞いたとき、在日外国人に対する生活保護法の準用まで否定されたと思ったがそれは勘違いだった。むろん在日外国人も生活保護は受けられる。
しかし生活保護法の準用というのは、生活保護法の正式な適用ではない例外的、裁量的措置である。いわば国家の意志次第では「やめた」もありうるわけだ。
さらに日本国民であっても保護が必要な人に行き届いていない。

つまり、外国人にとって生活保護を申請して、受け付けてもらえるのは行政の裁量であり、ただでさえ不安定な保護行政より一層不安定な受給者の位置に外国人はおかれている。
実は生活保護は保護の急迫性があれば、自治体が職権で生活できない人に保護を与える。そういう保護の精神から考えてどうなのか

また、生活保護だけではないが、生活保護申請の却下や支給内容など不備があれば、生活保護受給者や申請者は行政に不服申し立てができる。しかし外国人はできない。ということはやはり行政の裁量に依存させられ従属させられているといえる。よいのだろうか。

日本にはたくさんの外国人が働きに来ている。なかには不安定で低い賃金や、職業実習であったりする人がかなりいる。安倍政権が真剣に移民だというのであるなら、日本人も外国人もいまいる場所が日本であるなら、当座をしのげる権利を保障すべきと言いたい気持ちがしている。

他方、入国管理や国籍選択、また朝鮮学校などに対する逆風をみるとき、日本は帝国時代から一貫して、同化と恩恵と排除(仲良くしよう?)を組み合わせてきたのであり、現行法体系との整合、また改革を行わなければ、外国人と日本人の「人民としての権利性」に齟齬や分断をもたらす

もちろん国民国家である以上、一定の線引きがという意見もあるだろう。しかし、よく考えてみるなら外国人が安心して暮らすために裁量ではなく、生活保護の精神に立ち返り、在日外国人に対しても、保護の法的に安定した地位を付与する法改正がなされるべきではないか。法学、技術的に難題でも試行すべき。
むろん現行の生活保護は在日外国人に適用されることはかわらない。しかし本当に差別的な扱いがないか、また生活保護の捕捉率が低いなかで、生活保護制度全般の機能不全を解消したり制度的な工夫をするなかで、在日外国人の国内法適用に関する法的な位置付けの改善は不可能なのか。本当に国籍条項は必要なのか。排外的な政策が横行するなかで本当に外国人は安定的に保護を受け続けられるのか、また外国人とともに日本人の中でも差別的な受給抑制策は改善できないのか。

難しいことかもしれないが、子どもの貧困や様々な格差による社会の分断のために財政難にあっても社会をスタビライズさせる必要がある。
また財政難ならそれを市民に提示して
しかし貧しいひとが困らない形で保護を維持させる手はないのか。
そこまで考えたうえで稲葉氏や徳武氏といった方々が、今回の判決の誤解を払拭しようと啓蒙されているのか僭越ながら不安なしとしない。むろん彼らは現場のひとだからよくわかっているはずだが、国民主義ベースの様々な政策が産み出している様々な困難をも同時に解説することも必要と思い私は書いている。


日本政府が原発事故で破局を迎え、右旋回していることはやはり不幸である。
原発事故被災者が救われないのも、震災被災者が置いてきぼりになるのも、人の権利を国の基礎として困難を打開する下からの人権や民主化によって活力を取り戻す発送がこのくににまるでないからだ。
原発事故や国家の債務は今も国民に負担を強いられ支えられている。
経済やエネルギーの今までの利益配分に替わる生活からの国力の回復を目指すべきで核にやるのは、アマルティアセンの人間の安全保障や福島原発に関する国連人権理事会のグローバー勧告、子ども被災者支援法の実現だ。

私たちはネオリベ原発事故の破綻で企業よりも公的な人権保障や環境的正義の回復の重要性に気づいたのではなかったか。

むろん、国家財政や経済情勢の停滞は深刻だ。しかし限界があるとしても軍事強化や原発に資本投下するやり方を変えることはきないか。政府は処方箋を間違えてはいないか。

単なるグローバル化ではなく、日本に今もすみ続け被曝や生活苦にさらされる日本人、外国人の人間の復興が大切なのだ。