細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

生命蔑視に対する絶望的な後退戦ですーあまりにも根深い石原発言問題の全体

原発言の背景にあるものは根深く構造的なものです。脊髄反射で倒せるものでは到底ありません。深く、時系列をたどるようなこの社会に対する洞察と、それによる言論と行動しかありませんが、石原大臣が放射能汚染から逃げているのと同様の逃避をたくさんの人がして、石原の品性の問題にすり替えてるだけに見えます。
原発言から見えるのは除染帰還の国策の巨大な暴力性です。
これは生命に対するハラスメントです。
しかし、多くの方々が石原の品性の問題にすり替えて、それを解決するには国家的な移住プロジェクトしかないことを見ないようにしています。

故に大部分の日本人は放射能汚染を憂慮した発言をしないために、政権の無意識の加担者になっている気がしてなりません。

私たちは何らかの発言あるいは行動を原発事故に対してせねばなりません。
これは、国策に気づけなかった私の罪責の気持ちから表れているのか、もっと根深く、地球生態系すべてへの危機意識なのか。
恐らく後者でしょう。

先の大戦で私たちの地球文明は、核と全面戦争をテクノロジーによって引き起こしました。

そこから原発も生まれました。

また戦後の爆発的な環境破壊が起きました。

そのような暴力を繰り返さないために
私たちは生命蔑視教ともいうべき、ある種のシステムと戦いはじめているのです。

私は瓦礫焼却から、焼却技術全体が持つ新たな公害に気づいてしまったからでした。

この戦いは絶望的な後退戦です。
手遅れかもしれない地点からのです。
その地点から、わずかながらでも何らかの組み替えができたら。
それはあまりにも身の丈を越えたものかもしれませんから
ただ、私にはかきつづけるくらいしかないわけですが。