細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

当たり前のことを当たり前におかしいというのが封殺されたら民主主義の終わりです。それはみんなで守るしかありません。残された時間は短いのではないでしょうか。

私には生きる目標とか生き甲斐とかないんです。
ただ、命を粗末にするのが嫌だから、自殺しそうになっても
生きてきたんです。
みんなや運命が私を今まで生かしたんです。
感謝なんていいませんが、命が日々続いている。
これは行幸です。苦痛はたくさんあり辛いときばかりです。
若い頃からすぐに心身を痛めてきてたくさんの
病気のひとや障害者と話してきました。
世の中に負けたくない。これは意地です。
前向きな気持ちなんてないです。
働くの怖いししんどいです。やけど、壊れた世界でも子供たちは
アキラやナウシカのように生きねばなりません。
私は善人ではありませんが、壊れた世界で生きていく人々が
気がかりです。私も世界の不条理に苦しんだからです。

なんか「現実を直視していろいろ角を立てたくない」とみんな正直にいってほしいです。私は放射能だって、みんな死ぬのが怖いから触れたくないようにしか見えない。なら死ぬのが怖くて何が悪い、怖いものは怖い。そこから人類は知性を育てたんだといいたいです。だって、人類は風や波や大地の気配や動物の歩く気配に恐怖し警戒し生き延びてきたんだから。放射能だって、感覚的にわかりにくいだけで同じです。

人類は古代アレクサンドリアの時代から環境を破壊しながら
戦争をしながらも、一方で自然に畏敬の念を持ってきました。

放射能や環境破壊ではみんなナウシカやアキラを、様々な破局をSF や芸術で体験しながら
当たり前におかしいことを認めようとしません。
私たちは汚染の当事者になりました。
汚染水は止められません。
情けなくまた真実をありのままに話すのはためらい、
また傷つく心もわかります。
しかしそれが私たちの未来に投げかける影は大きくないですか

水俣や様々な企業の不正と戦ったのは勇者ではありません。
みんな単なる皆さんとおなじ生活者で巣よ。
当たり前に不正を語るのがダメなら社会正義の基礎は
崩壊します。
私たちには不正な支配を除去する権利があります。
ロックはそれを抵抗権と呼びました。

私は悔しいです。
当たり前に危機を語るのはなぜいけないのですか。
政府や体制が誤った知見や偏ったデータを並べるのを許して
そこに法治や自治や最低限の民主はありますか。
私は悔しいです。

私は医療や福祉の異常、学校や労働が産み出す苦しみを見てきました。
放射能や国の大事な決まりまで不正がまかりとおる。
これを指摘することがなぜ過激派なのですか。

私たちには世論の後押しがいります。
いつまでも声を挙げるのも体力が限界です。
私は心の病があります。
皆さんが目の前にある不正をとくに放射能原発や国のコンポンノきまりを
壊すあらゆるものにたいし、普通におかしいといってほしいです。
巨大地震放射能やイビツな政治経済体制。
残された時間は短いのではないでしょうか。

私たちは大川小や福島が示す教訓から立ち直らなければ
前へ進めません。
汚染水はブロックされてません。
政府の経済改革消費増税では誰も助かりません。
被災者に回るお金は届いていません。
東電メガバンク救済に回ります。
日本経済は守られても犠牲は拡大します。
原発作業員に弱者が駆り出されみんなが被曝を強いられてます。
憲法を変えてもアジアの危機は増します。
政府が帰還の方針を示してはいけません。
被曝のせいで帰りたくても帰るにはリスクがあるといってる人の声を
政府は尊重してください。

嘘ばっかりです。