細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

日本とインドー環境汚染企業にどう対応したか。被曝は生態系全体への加害につながります。

(インド)ボバールの化学工場が爆発し、周囲を汚染し被害者が多数になったとき、インドの政府は化学工場を運営していたユニオンカーバイトを訴えました。

(日本)福島県原子力発電所が爆発し、周囲を汚染し被害者が多数になったとき、日本の政府も大半の市民も原発を運営していた東京電力を訴えませんでした。
(東京電力を訴えた市民は無視されています)

インドの場合、ユニオンカーバイト社が外資であるとか、自然災害が絡んでないとかのちがいはあります。
もちろん原子力事故は被害が電力会社ではまかなえないのもあります。
ソ連を見ても政府ぐるみで隠蔽をしてもなお
数年後の健康被害はごまかしようがありませんでした。

私はたまたまこどもの時からチェルノブイリや原爆や原発労働について気になっていました。しかし私が事故以前に原発をなくす行動をしていませんでした。
だから逆にそれが悔しくて、悲しくて、また現在の社会の搾取が原発放射能被曝には明らかにあらわれていると事故以降さらに確かに感じたので原発には反対していますし、なかでもどれだけ嫌がられても放射能汚染について考え発言しています。日本の国土の何割かが汚染され、汚染は継続しており、当事者はたくさんいて、話は単純ではありません。が、汚染に目をつぶるのはやはりまずいと考えています。それは加害者を放置してしまうことであり、加害者を放置した私たちの情けなさに精神を破壊されることです。
ふるさとを奪われた方の悲しみはあまりあります。しかし被曝を我慢させられるのもまずいと。なぜなら、被曝を我慢させられるのはあなたや私だけではない。人類と生態系全体への加害につながります。あなたや私の悲しみは必ず世界化します。

それが放射能汚染、の示唆するものです。