細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

柏崎刈羽原発の安全審査を県が条件付き承認についておもうこと

柏崎刈羽原発の安全審査を条件つき承認 新潟 http://t.co/TgqF8jcIKg
「 条件付きで原子力規制委員会への安全審査の申請を承認する文書を渡しました。泉田知 事は、ベントの操作による住民の被ばくが許容できないと明らかになった場合などは承認を無効とするとしています」

とうとうこの日が来たかという感じ。

そもそも論としていうが、 東電は審査書類を提出する資格があるようにはやはりどうしても思えない。なぜなら、福島の事故は今も放射能汚染を拡大していて、被災者の救済も全く不十分だ。
さらに規制委員会にも審査する資格は疑わしい。政府は東京電力放射能汚染をした責任を問わず、さらに規制ではなく汚染を容認し、再稼働も手伝っている。

なぜ柏崎がこんなプロセスになってしまうのでしょう。福島の四基があれだけ壊れて放射能が駄々漏れなのに。納得がいきません。

事故を起こしても、東電は国からは金がもらえて被災者は住処も町も空気も水も土も海も奪われた。そんな会社です。それについて、国がまともに指導もできていない。汚染された大気や水はあちこちから漏れだし、それについて、何らの手当てもできていない。

泉田知事はよく頑張ったが、新潟県だけでは多勢に無勢。原子力体制の頑なさと私たち市民社会の弱さを痛感しました。これからも諦めずに声をあげ、それが広がるように粘り強くやっていかねばと思います。

やはり原子力を止めるには社会体制全体の変革という目標がなければ、無理かと思われる。泉田知事が全都道府県にいれば、国会にも大臣クラスにこの程度の見識があるものが揃えば、あるいはなんとかなる。しかしそうではない。愚か者を権力につかせるようシステムを固められている。橋下も猪瀬も安倍も。

時間がないのに、越えるべきハードルは多く高いですね。アメリカや原子力と、武器ではなく議論や正義で戦える社会にならなければなりませんが、それでは次の事故が待ってくれません。
さらに事故は現在拡大。
私たちには残された時間がない。なのに、暴言、詭弁、差別発言の撤回すらできない人が反原発や反差別の中に一部いらっしゃる。なんなのだろう。

再稼働も止めて、事故にも対応して、被災者の被曝を止めて、なんて仕事が多すぎる。全部繋がっている話だ。
柏崎刈羽は世界最大だから、複合的に災害が起きたら、手のつけようがなくなる可能性があります。電力は世界を滅ぼすまで経営のためというのか。

泉田さんにはもっと戦ってほしい気持ちはある。条件付きが彼にとってギリギリのできることだったという判断もわかる。しかし柏崎刈羽は福島よりさらにでかいのだ。ただし、泉田さんがこれ以上反対したら不当な圧力にさらされる懸念もあった。ならば、その不当な圧力まで用いてまで続けたい力の正体は何か?

さて、それでは福島の前に起きた柏崎刈羽原発中越沖地震によるトラブルを振り返っておきたい。
この事故でオフサイトセンターが機能しないことがわかり免震重要棟を泉田知事が要求し柏崎と福島に設置されそのあとすぐに東日本大震災が発生した。
免震重要棟で福島原発事故の最中、官邸や東電本店とのやり取りが行われて、事故対応がなんとかできたことは記憶に新しい。
当時の福島第一原子力発電所所長の吉田氏は、食道ガンですでに亡くなられている。被曝線量は70ミリシーベルト東電被曝とガンは関係がないと発表しているが、詳しい病理データを呈示しないまま、関係がないと発表したのは不信感を逆に招いた。
すでに事故以前にガンを発症していたとしても事故前の被曝を含めて被曝影響を考えねばならないだろう。被曝による発ガン影響はしきい値がなく、外から10ミリシーベルトではほぼ確かと思われるデータもある。 【翻訳論文】「低線量被ばくによるが んリスク」 http://smc-japan.org/?p=2037
5ミリ は放射線管理区域でチェルノブイリの強制避難区域にあたり
さらに白血病の認定の最少値でもある。
一ミリシーベルトは平時の公衆被曝限度であり、
緊急時にも20から1ミリのうち一ミリになるべくおさえるようICRPも勧告している。

話がそれたが
それでは柏崎刈羽原子力発電所事故について。

柏崎刈羽原子力発電所
Wikipediaをざっと読んでみた限りでは、スクラムのあとが 原子炉は難しいことがよくわかる。 冷却に失敗すれば、福島の事故のようになりうる。 再稼働については、広域避難やベント以前に冷却がどんな状態でも可能であるという前提がない限り無理であり、さらに、甚大な災害が起きればベストの対策は困難だ。
柏崎刈羽でも冷却系が二個のうち一つが壊れている。
施設の火災も起きている。これはある配管が地震による地盤のズレで発火したという。

柏崎刈羽は世界最大で7つの原子炉があり
複合災害が考えられる。
津波や激しい地震、冷却系や電源系統のトラブルが福島のように重なれば大量の放射能拡散は避けがたい。
一基でも破局的に爆発し作業斜が退避したら
他も爆発する。福島での退避を止めたのは菅元総理
といわれ、同じ蛮勇を自民党総裁が震えるかも疑問だ。
フィルターベントをしても、敷地境界の被曝線量は数百ミリシーベルトに達すると試算されている。その十分の一でも百分の一でも、数十から数ミリの被曝に達する。
地下ベントが地震で正常に働けるのか。
やはり再稼働してはいけないよう に私は考える。
新潟県が許した以上手続きは規制委員会になるが、世論も事故対策、被災者支援法、再稼働反対を同時に訴えねばならないだろう。

以下は 柏崎刈羽原子力発電所より
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E5%88%88%E7%BE%BD%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

新潟県中越沖地震での現場の対応状況

地震直後

2007年7月16日10時13分頃に最大の揺れ993ガル を観 測した新潟県中越沖を震源とする新潟県中 越沖地震が 起こった。柏崎刈羽原子力発電所内の 運転中の全ての 原子炉が緊急停止したが、運転 を管理する中央制御室 では数十秒間にわたり続 く揺れのために計器の確認が 出来ない状況で あった。第一運転管理部長は構内を自 動車で移動 中に地震発生、3号機建屋からの発煙を発見、運 転中の全機がスクラム (緊急停止)したと構 内 PHSで確認、3号機すぐ横の変圧器から出火を確 認、延焼の可能性はないと判断して初期消火を 他の職 員に任せ、スクラム後の対応に全力を傾 けるべきとし て緊急時対策室のある事務所建物 へ移動。ところが緊 急時対策室入口ドアの枠が 歪んでドアが開かなくなっ たために室内に入れ ず、駐車場にホワイトボード4〜 5枚を引き出し て構内PHSで連絡を取り続けた [注 1] 。

自力消火を断念

全ての運転中の炉の中央制御室では、多くのア ラーム が鳴り続け、職員が対応に追われていた。 3号機中央 制御室でも100近くの異常を示すア ラームに対応する ために当直長ら5人の運転職員 らは、変圧器火災の情 報が知らされ、地元消防に 通報を試みるが中央制御室 に優先接続電話は無 く、電話は繋がらなかった。3号 機変圧器の火災 現場では4人が消火を試みたが、消火 栓の水は地 震の影響でほとんど出ず、さらに緊急用の 軽ト ラック搭載消火ポンプは失念していたという。自 衛消防隊の招集も忘れていた。この時点で駐車 場の第 一運転管理部長は、「消火は出来ない」と いう連絡が 入ったため、「地元の消防を待て」と 指示した。周辺 住民は外部からの携帯電話等の 情報で発電所火災を 知った。発電所から地元刈羽 村への連絡は地震発生か ら1時間以上経っても無 かった。新潟県庁にも詳しい 情報は伝えられな かった。各自治体へ伝えられていた 環境放射線の 測定データも地震直後から途絶えてい た。新潟県 知事は最悪の場合を考え、地元自治体と住 民避 難の相談をはじめていた。12時10分、非番から の呼集で原発へ駆けつけた5人の地元消防の手で 3号 機変圧器の火災は消し止められた。

炉心の冷却

第一運転管理部長は、3号機と4号機の炉心をス クラ ム後に冷やす2つの装置の内の片方が停止していて、 1つの装置で2つを冷やす事の判断を迫 られた。3号機 当直長は午後4時、内外気圧の差圧異常の原因が判 明、3号機建屋壁面のブローア ウトパネルが脱落して いた事、すぐには建屋の気密を戻せない事、などを知らされ仮緊急対策 本部の第一運転管理部長へ報告。同 部長は炉心 冷却を3号機優先と決定した。この時、6 号機建 屋内で微量の放射性の水の漏洩が発見された。 本来、放射性物質を扱わないフロアでの発見に3 回に わたる試験と調査が繰り返され、漏洩発見 から6時間 後に同部長へやはり放射性の水の漏洩 であることが報 告された。これは、後に上の階の プールの水が地震の 揺れでこぼれたものが配線 の隙間穴から階下へ流れた ものであることが判 明し、その一部は外部へ排水され たと判った。
翌日の朝6時54分にすべての炉心の冷却を終えて、安全な状態になった 。