細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

ビートたけしの兄北野大氏は何者であるか。

芸人ビートたけしの兄北野大氏・・

若者たちの前で原発の必要性を力説する北野大先生:

これは311の直前の動画であるが日本で原子炉の暴走は起きたことはないと力説している。
311前とはいえ、この異様な説得の熱意は何だろうと思った。

この動画を見て調べてみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A7

2014年4月からは淑徳大学人文学部表現学科教授に就任予定[1]。
安全学の研究者でもある。
弟のたけし同様、野球好きで、プロ野球読売ジャイアンツ埼玉西武ライオンズに在籍した清水隆行のファン。
役職
経済協力開発機構環境委員会専門委員
国際海洋機構海洋汚染専門委員
経済産業省化学物質審議会委員
環境省中央環境審議会委員
残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約専門委員
環境科学会理事
社団法人日本化学会委員
江戸川総合人生大学学長
明治大学体育会日本拳法部副部長
環境省エコチル調査サポーター


エコチルや環境省の中央環境審議会委員や
経産省の委員も務めている。
霞が関の審議会人脈の中にいる人のようだ。
国際的な環境政策の委員もやっている。

しかも読売巨人の熱狂的ファンである。

先の動画でも温暖化の危機を熱心に説いているしCO2の出ない(!)原発とか原発と原爆と違うと発言している。

おかしいなと思ってみてみたら
北野大氏はリスコミと安全学の先生でもあった。

「安全とは自然科学で証明される客観的事実、安心とは自ら理解・納得したという主観的事実です」と明快に回答するのは、安全学を研究している明治大学北野大教授だ。

「科学技術に基づく安全があって初めて、安心できる状況が形づくられる。さらに安心は、コミュニケーションに基づく信頼と言い換えられます。安全と安心を結びつけるものがリスクコミュニケーションになります」(北野教授)

「天災は忘れたころにやってくるという名言で知られる寺田寅彦には、もうひとつの名言があります。物事を怖がりすぎることも、怖がらないこともやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい、というもの。正当とはリスク・レベルを理解する、ということですね。ここが『賢い消費者』につながる気がします」(北野教授)

http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20091030/192703/?P=1

しかもこれは企業とタイアップしていたり。。

安心と安全はちがうということや賢く怖がるというのは
311以降ある種の先生方がいっていたことです。
ああ橋下市長も安心は主観的で、安全は客観的とかいっていたな。
そういうことか。。

しかし寺田寅彦氏がいったのはそういう意味でもない。
そう私は思っているんです。

 一度浅間あさまの爆発を実見したいと思っていた念願がこれで偶然に遂げられたわけである。浅間観測所の水上みなかみ理学士に聞いたところでは、この日の爆発は四月二十日はつかの大爆発以来起こった多数の小爆発の中でその強度の等級にしてまず十番目くらいのものだそうである。そのくらいの小爆発であったせいでもあろうが、自分のこの現象に対する感じはむしろ単純な機械的なものであって神秘的とか驚異的とかいった気持ちは割合に少なかった。人間が爆発物で岩山を破壊しているあの仕事の少し大仕掛けのものだというような印象であった。しかし、これは火口から七キロメートルを隔てた安全地帯から見たからのことであって、万一火口の近くにでもいたら直径一メートルもあるようなまっかに焼けた石が落下して来て数分時間内に生命をうしなったことは確実であろう。
 十時過ぎの汽車で帰京しようとして沓掛くつかけ駅で待ち合わせていたら、今浅間からおりて来たらしい学生をつかまえて駅員が爆発当時の模様を聞き取っていた。爆発当時その学生はもう小浅間こあさまのふもとまでおりていたからなんのことはなかったそうである。その時別に四人連れの登山者が登山道を上りかけていたが、爆発しても平気でのぼって行ったそうである。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」と学生がさも請け合ったように言ったのに対して、駅員は急におごそかな表情をして、静かに首を左右にふりながら「いや、そうでないです、そうでないです。――いやどうもありがとう」と言いながら何か書き留めていた手帳をかくしに収めた。
 ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。
寺田寅彦 小爆発二件

「しかし、これは火口から七キロメートルを隔てた安全地帯から見たからのことであって、万一火口の近くにでもいたら直径一メートルもあるようなまっかに焼けた石が落下して来て数分時間内に生命をうしなったことは確実であろう。」
この部分が正当に怖がることのむずかしさにかかっているわけです。

もっと自然の現象に対する正当な畏怖の念を持つことや・予測の立てがたさ・現象を的確に理解することのむずかしさという意味で
そういう畏怖の心をきちんと持てば地震大国で断層の上に原発を何十基作ることや、事故前の何倍もの放射性物質に汚染されているのにいたずらに「安全安全」ということのほうが非科学的だと思うのですが。メルトダウンが起きた後北野大先生はどうお考えになっているか。大学で教鞭をとられるそうですが、聞きたいところです。