細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

弱者を襲う原発事故-辛淑玉氏の演説から

この報告は大変重要だと思いました。

原発事故で、社会的に力のない人々はどのような二次的・三次的な被害に見舞われるのか。

なかに「避難しなくても怒られ」「避難しても居場所がなく」「戻ってきたら戻ってきたで非難される」というような箇所がありました。
また、子供がおかしくなると「女だけが責められる。親父はどこへ行ったんだ」という箇所がありました。
「難民」という言葉を思い出しました。

放射能が安全だとされてしまっているという政府や電力会社の見解があり
それがまず背景に巨大にそびえたっています。

その中で避難と移住は、「自己責任」にされてしまっています。
所得のある人でも、辛氏の言う「標準家庭」の人でも苦労が多いのです。
食品やがれきの汚染をめぐって大阪にいるご夫婦や恋人同士、家族ですら
分断が起きています。

母子だけ移住して夫は関東に残るというケースも多いです。
それらは自主的な避難とみなされます。そして離れて生活することで
さらなる困難に直面することも多い。離婚の危機や子供の就学や
様々な苦労が起きます。

そういう形で放射能汚染は人を引き裂いている。

 さらに所得や社会的な仲間が少ない人となると深刻です。
 逃げ場所がありません。
 311以降むろん所得のある人も汚染が襲いました。
 しかし所得や社会的地位の低い人・孤立している人はさらにその打撃が深刻であるというよく考えてみれば自明な現実をこれほどはっきり語っている例を私はこれまであまり見たことがありませんでした。

 「事故責任」「汚染責任」が問われない中で、「自己責任」だけが問われてしまいます。
そういう事情を辛氏は「何が絆だ。絆をずたずたにしておいて、電力の絆だけが守られている」といっています。
 私は震災がれきや汚染食品問題を通じて感じてきたことはこれにつきます。

 さらに辛氏は放射能汚染は人の体を破壊するだけではなく人自身を破壊するのだといった。
 辛氏は、原発推進派のように、原発事故による「精神的ストレス」だけを問題にしているわけではないのです。念のため。つまり精神であれ肉体であれ、人間が生きる土台すべてを破壊してしまうということが原発事故で起きていることであるといいたいわけです。
 
 人間は生きなければなりません。だから命を守るために、放射能のリスクをしっかり重く受け止めるということが国民的な第一歩となるべきです。そうでなければ、汚染者による「加害」の重さが消えてしまいます。加害の重さを見るとき、汚染が引き起こす健康問題とともに(がんやそれだけではない、様々な疾患)さらに、人間が生きようとするときに必要になってくる地域やひととのかかわり、資本、自然環境の喪失ということが加わってきます。
 命と命が育ち生きる背景になった全ての資本が奪われてしまう。
 放射能汚染イタイイタイ病を調査した畑明郎氏がいうようにイタイイタイ病の汚染の何百倍以上の土地を一気に汚染します。公害としても例を見ないものです。
 その深刻さをみたとき、これまでいわれてきた人道という考えを刷新しなければいけないのではないかとさえ思われます。放射能汚染は風や雲、水の流れといった自然条件とともにやってきます。音はありません。戦争のような爆撃や銃撃はありません。
 しかし見えない銃弾によって私たちの体だけでなく自然生態系が攻撃され、ということはそれを土台にした私たちの社会生活が長期にわたって基盤を奪われ、攻撃されるということです。体内の放射能汚染の蓄積量を正確に算定する装置は今のところありませんし、社会的破壊の研究も十分ではありませんから、その広がりというか正確な中身を知ることは困難です。

 全体が見えないのですから、全貌が語れず、だから茫漠としたリスクの増大や未来への根底的な壊れを大きめに想定しながら、常に考えざるを得ません。予防原則を推奨する理由です。

 ハンナ・アレントが使ったのと違う文脈ですが「世界疎外」という言葉がふいに浮かんできました。

 ここで報告されているDVの増大というのも気になることで、タバコを親父が吸いに行っている間だけ、殴られないからたばこ税をあげないでくれというシーンも、全面的破壊があらゆる場面に暴力的に作用していることをはっきり認識させます。
 また不満が公務員にぶつけられるということ、これは大阪でも深刻です。
 ブランコが漕げない子供の例は、はたして運動不足だけで説明できるのか放射線の寄与はないかという気がいたしますが安心して遊べる外がないということは重大な事実であり家屋内もけしてすべて安心というわけではないのでしょう。

 世界全体がとげのような状況の中で、「韓流ドラマ」だけが何も考えない瞬間になれるということも非常に示唆的です。

 また在留外国人、東南アジアから福島や東北へ行った女性たちが母国語での情報アクセスや支援を受けることができず取り残されているという例も、「喪失」が弱者に向かっているということの深刻さを強く刻みます。

 最近新聞でもやっと子供被災者支援法や避難や帰還困難、公害としての深刻さが徐々に語られるようになってきました。しかしはっきり言って遅すぎると思います。

 さらに既存のリベラルはこの放射能汚染によるリスクと人道的破局を、既存の弱者問題の枠の外にあるものとしてとらえきれていません。
 たいてい、汚染の問題を取り逃すか、汚染の問題を知る論者でも生活や人生の破壊までたどり着けません。そういう意味で辛氏のような論調は貴重です。

 しかし国際的には健康というのは、こころ、体、生活の一体したプロセスであり、そのどれもがかけてはならないといわれますし、ゆえに環境汚染は人道的な破壊としても着目されるもので、以前国連人権報告のアーナンド・クローバー氏の報告をこのブログで取り上げたのもそのためです。
 ともあれ、瓦礫の移動や絶望的な除染を縮小・凍結して、都合の悪い汚染の現実を全国民的に周知し、移住と放射線防護の権利保障から始めるしかありません。
 私はこのことをブログで事故当初からずっと訴えてきました。声が小さく、あまりお役に立てていないかもしれません。 
 さらに残念ながら大阪で瓦礫は焼かれていますが、一日も早く焼却が止まり、岡山や鳥取のように移住の保障や環境の保護に関西の大きな自治体は乗り出すべきと思います。
 そのような状況下で、維新の勢力が大阪に大きくあるということは深刻な阻害要因です。彼らは一応大阪市で子供被災者支援法の早期実施を求めていますがそれなら食品汚染を阻止し、瓦礫を焼くことをやめないとつじつまが合いません。これまでのただ約束だけして選挙後に裏切る政治から脱却してほしいと強く思います。