細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

なぜわたしたちを苦しめようとするのですか。橋下市長お願いですから、その理由を教えてください。人助けではないはずです。

 わたくしはずっとガレキ反対運動にのめり込んでいます。なぜだろうかと考えてみました。単純に嫌だからです。空気や水や土はみんなのものです。みんなのものが汚されたら、私たちの体も他の生物の体も壊されていきます。怖いことです。

 わたしは詩を書いています。詩は、匂いや空気や様々なものと私の中に流れる血潮が溶け合う時に生まれるように思います。それはいわばエコロジカルなものです。自分の主観が自分以外のものを栄養としながら、自分として分かたれ言葉となっていく。不思議なものです。
 
 わたしは焼却が実施予定の大阪市此花区に行ったことがあります。そこでずっと暮らしているおばあさんがいます。近所に認知症の老人がたくさんいて自分も軽度の認知症だとおっしゃっていました。二軒に一軒は前立腺がんの方がいて、迷惑施設やマンションが建つときに周辺の住民にお金が配られることもあるそうです。

 わたしは今でも大阪はこうなのだと思いましたが、正直事実関係は半信半疑でした。しかし、日本には世界の7割の焼却炉が立ち、焼却炉のメーカーが原子炉を作っていると知り、原発問題の一角にごみ問題がつながっていることを知りました。

 また大気汚染のことも調べました。ある大阪市の担当者は西淀川の出身でそこは公害が激しく、工場から排出された煙がもうもうと地表付近に滞留することがよくあったそうです。子どものころ、その煙の道を自転車で突っ切るのが大好きだった、しかし今から考えると恐ろしいことをしたもんだと笑っていました。わたしはその人に大阪をお守りくださいというしかありませんでした。その方も真摯に対応していただきました。

 そして焼却炉を調べていくと昔のように粒の大きい粒子が放出されるというわけではないことに気が付きました。花粉の10分の1もない。そんな粒子がフィルターを通り抜けて排出されているらしいとしりました。フィルターは網目以下の粒子は外に出してしまいます。その粒子は恐ろしく軽く小さくどこへでも飛んでいきます。それは肺の奥に入り血液やリンパに入ります。生まれたての細胞は一番攻撃されます。
 福島の原発が爆発したときそのくらいの大きさの粒子が雨や雪や下降気流で地表に降下して、関東東北の広大な地域を汚染したのでした。

 ものを焼くとそのものは消えません。熱分解され、気体になり自在に分離結合しながら、より毒性の高い物質へと変換されます。ある海外の文献では飛灰は人類が生み出した最大の毒物のひとつであるといっています。

 僕の生まれた町の焼却炉はいまだに電気集塵機です。おそらくたくさんの毒物が排出されていると思います。
 此花区の焼却炉は高性能ですがそれでも、さっき言ったおばあさんの言葉が頭をよぎります。此花区は、正連寺川も汚染されたし、あちこちが重金属で汚染されているとはいえ、此花区や港区は体感できるレベルで空気が悪いです。
 僕はそこに放射能をつけくわえたくないと思いました。
 もともと焼いてはいけなかったものを焼くのだし国には被災者を救う気もほとんどありません。東電健康被害を切り捨てるでしょう。現にガレキ広域処理の二つの法律のひとつである放射能汚染対処特措法は、東電放射能で汚染されたものを放射性廃棄物とは別の扱いにします。それは今までの放射能管理より簡素化されたものです。コストがかかるとはいえ、除染や災害瓦礫の運搬費用があればもっと丁寧な管理が可能です。
 また特措法には「東電が汚染廃棄物を出した責任がある」という一番大事な文言がありません。これでは東北の被災者が農地や水が瓦礫と同じ程度に汚染され売れなくて、賠償請求をしても、低線量の内部被ばくで病気になっても保証が出ない可能性があります。
 瓦礫が危なくないなら、君の家の汚染もなんでもないし、病気も私たちの責任ではないと。

 そんなことに私たちが良かれと思って加担させられるのだと思うと、これでは、自分たちが責任を取ることや重みを引き受けることにならない。しかも大阪の未来の人々にも申し訳がないし、病気の俺は先に殺されると思いました。
 なにより東電の罪を許す私たちが今後どんな破廉恥漢になるかそんなのまっぴらだと思いました。

 実は炭坑や公害はたくさんの詩人を文学者を生み出しました。それは道義の心だけでなく詩人は世界から空気や水を貰い、自分の体を燃やして詩を書くからだと思います。文字通り肉声なのです。田村隆一という詩人は詩は肉声だといいました。ガレキ反対かどうか以前に私は、自分がこの世界で生きてこの汚れた水を飲み空気を吸っている事実を否定したくなかった。そしてこれ以上汚染を広げてもだれも救われないと知ってしまった。

 わたしはこの世界はいつか壊れると思います。こういうと脅すなといわれましたが、こんなでたらめを許したらわたしたちは必ず報いを受けます。わたしのおじいさんは戦争に行きました。そして重症になって帰ってきて家族を作り私の母を育てました。わたしの母はおばあちゃんが気難しい人だったので苦労しましたが、おじいさんは尊敬しているようでした。
 おじいさんはなくなる数か月前にわたしにいいました。「かずひろ、いうことはいわなあかんぞ」と。わたしはその頃生きる気力もまじめに生きる勇気もなく就職先も決めていませんでした。そのことをぼくの叔父さんが心配し相談に乗ってくれました。だけどわたしは就職をしませんでした。

 それは生きていきたくなんてなかったからです。阪神大震災が起きて、サリンがまかれた年でしたがわたしの心は真っ暗でした。
 生きていきたくないというわたしの心に、おじいさんは謎の言葉を投げかけました。わたしが「言いたいこと」「云うべきこと」はなんだろうと。それでわたしは死ぬわけにもいかなくなりました。死ぬ勇気なんてなかったですけど、おじいさんのおかげで目的が与えられたのでした。
 そしてずっと詩を書いてきました。詩を書いて自分の舌や心をほどいていきました。そして絶望していました。絶望をして、なるべく生きないようにしてきました。

 それでも生きよう、生きようと何かが呼んでいるのです。生きようとするとき、それは誰かと何かと生きざるを得ないのです。きれいごとではありません。ヒトのおならをかぎ、喧嘩し、泣き笑い死んでいくのです。

 少し関係ない話のような気もしますけれど、そういう私から見ると、橋下市長は絶望をしたままの幼子のようです。ひねくれて、相手を利用し自分が生きることしか考えません。それも生きるです。
 ただ、それでは困るのです。汚れた世界なんだから破壊してしまえ、どうせ大阪なんか大嫌いだ、この町は俺を踏みつけてきた仕返しだと市長は思っているのかもしれません。だけどちょっと待ってください。まだここで生きようとしている人がいるのですよ。

 そのともしびを消さないでください。瓦礫がどれくらい危ないか、それが安全かなんてことだけではなくもっと根本のことです。命を大切にしようとする姿勢なしにこれからの政治は成り立ちません。ここが岐路なのです。この岐路を間違うと、あなたもわたしたちもひきかえせなくなるのです。
 わたしが言いたいのはこれだけです。
  
 わたしたちの世界は不正であふれているため、破壊され痛めつけられるべきなのかもしれません。しかしわたしはせめてあたたかい心と体を大事にしたいのです。せっかく生を受けたのですから。死んだ人にならずに今のところは済んでいるのですから。

 なぜわたしたちを苦しめようとするのですか。橋下市長お願いですから、その理由を教えてください。人助けではないはずです。その理由は何ですか。瓦礫を燃やしたって何にもなりませんよ。