細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

土の汚染、埋め立てメモ、実は命や自分たちの存在様態の問題

メモ程度に書いていますので
いろいろ間違いもあると思います。メモです。

2012年5月22日11時32分

汚染土焼却灰に雨、セシウム溶出心配 近畿大

 放射性物質に汚染された下水汚泥や土は、焼却すると雨水などにさらされた際に放射性セシウムが溶け出しやすくなることが、近畿大の実験でわかった。焼却灰を粘土と混ぜることで、溶け出しを防げるという。

 近畿大山崎秀夫教授(環境解析学)らは福島県南相馬市の汚染土壌やその焼却灰に少量の雨水を加えて2時間振り混ぜ、放射性セシウムがどれだけ移るかを調べた。

 すると、汚染土そのままでは、雨水にセシウムの移行はなかったが、焼却すると0.11%が移り、セメントを加えると2.87%に上がった。粘土を混ぜると移らなくなった。粘土は兵庫県淡路島産の瓦用を使った。

朝日新聞デジタル:汚染土焼却灰に雨、セシウム溶出心配 近畿大 - 東日本大震災

 これは驚きの結果です。
 なぜなら一般の管理型処分場、大阪などならフェニックスや北港などで以前から水溶性だから駄目じゃないかといわれ、それで大阪府、市と環境省ゼオライトを敷きつめるという仰天案を考え出したのです。

 しかしまあこれは瓦礫じゃなくて汚染土です。ケースは少し違うでしょうけども。
ただまあそれでも汚染土や下水汚泥は
焼却で溶け出しやすくなり、それをセメントにするとさらにセシウムが溶け出しやすくなるという。

 むろん再生セメントはがれき焼却灰を焼成炉に入れて焼いて作るからちがうとはいえるわけですが土や汚泥がセシウムを吸着した場合、燃やしてはいけないということはわかりました。セメントにしてもよくないのかもしれません。


 私は細かい技術がわからないのですがこれはけっこう発見でした。
 災害がれきの焼却埋立に関してもヒントになるかもしれません。


 この山崎という教授は東京都の土壌測定もやっています。

2011年5月15日 朝日新聞 朝刊5面
山崎教授らは、4月10〜20日に採取した東京都の4地点を含む首都圏の土壌試料を分析した。東京都江東区亀戸で1㌔あたり3201ベクレル、千代田区の二重橋横で同1904ベクレルだった。原発から約55㌔の福島市南部(同市光が丘)の土壌は3月19日時点で同2万7650ベクレル。都内より福島に近い茨城県神栖市は同455ベクレル、ほぼ同距離の埼玉県朝霞市は484ベクレルだった。放射性ヨウ素も同様の傾向だった。

 単位面積あたりに換算して農水省などの調査とそろえると、都内の土壌の放射性セシウム濃度は稲作禁止の制限値の20分の1以下だが、1960年代の大気圏内核実験で年間に降った量の3〜10倍あった。
 山崎教授は「放射性物質を多く含んだ雲のようなもの(プルーム)が飛来した地点では、局地的に土壌の放射能が高濃度になる。首都圏でも細かい状況調査が必要だ」と話す。京都市である国際分析化学会議の緊急シンポジウムで24日は発表する。(鍛冶信太郎)
http://prayforjp.exblog.jp/13594347

これは一覧になっています。

地点にもよるとはいえいずれも核実験時の降下の数倍から10倍に上る。
このニュース見落としていました。
キロ当たりでこの数字ですので、これを60倍とか150倍すると平米あたりの数値が出たと記憶しています。

そのベクレルだが、日本では何故か「Bq / kg」を採用しているが、世界基準は「Bq / ㎡」である。
この単位、実は重要なトリックが隠されている。

実は同じ場所の土壌を計測した結果でも、「Bq / kg」で表した方が「Bq / ㎡」で表した場合より数字が小さくなるのである。
しかも、農水省は表土から15センチを採取しているのだが、チェルノブイリなどでは表土5センチを採取しているのだ。つまり、放射性物質が浸透していない部分の土を混ぜて薄めて計測している状態なのである。

以上を踏まえると、
文科省が発表する「Bq / kg」の数値は65倍、
農水省が発表する「Bq / kg」の数値は150倍してやっと世界基準の数値になり、比較することができる。
nanohana.me - 

これがあってるかどうかよくわからないんですが厄介なことだと思います。

で、ずっと考えているのは一般の管理型処分場に埋めていいかということですが
セシウムは減少が遅いのでやらないほうがいいと思われます。
私の考えですが。
その理由をこの方はこういう感じでいっております。

セシュウムは濃縮させないことが肝要。
セシュウムは濃縮するので燃やして灰にするは最悪。

半減期

放射性セシュウム137で100ベクレルなら30年経てば50ベクレル
まずまずの安全レベルとなる。
だから、現地で堤防にしたり、盛り上げて丘を作り土をかぶせ森にする。
木を植えて30年すれば安全な公園、緑地が出来る。
放射性ガレキ処理の正しい安全な処理方法なのだ。
神戸の普通ガレキと同じに扱うのは誤り。

焼却灰にして最高8000ベクレルに濃縮してしまうと
30年たっても、4000ベクレル。まだまだ、とても危険なレベルだ。
60年たっても、2000ベクレル
90年たっても1000ベクレル/kg。まだ稲の作付けは出来ないレベル。
ガレキ広域処理(8000ベクレル)の落とし穴 5 #ガレキ : 瀬戸の風

なるほど。
で、こういうの調べてるのなんでかっていうと
社会福祉でも文学でもいくら高尚なこと言ったって
人間がどんどん死んだらそういうことはいえなくなるので
(そんなことはないというツッコミもありえますが
どこかで文学でも類的な何かを想定して組み立てられていると思うんですね。哲学でも同じです。なんらかのグループというものは根底的に想定されている。それが消えていくというのは恐いことではありませんか。おおげさですか。おおげさならいいのですがそうとだけも思えません)
僕はある時期から抽象的な議論も大事だが
もっと切迫した命とか自然のことについてしっかり考えないと
滅ぼされる。
そう思ったんですね。
この事故が起きてから土や水の当たり前でなさ、恵みの大きさをものすごく感じた。
避難してきた方がそういうのですね。土を子供がいじれる、深呼吸できるって。

放射能汚染がどの程度の被害を引き起こすのであれ、非常に辛いですが
それは人が苦しむことを含めての事態です。
生の剥奪、阻害です。これはかねてから自殺の増加などを通じて危険な水域まで達していました。
事故が起きて放射能や自然のことを
考えなくてはいけない。
例えばごみ問題や災害廃棄物、食糧、流通生産物の汚染は文明のインフラの問題であり
ここがやられつつある。そうすると身体の組成そのものにも影響が出るかもしれない。
危機的ならば私たちは考え方を改めなければなりません。
そうなると文学や哲学も変わってしまうんではないでしょうか。
これはどうなるかわかりませんが。

つまり単に具体的な問題が大事なんじゃなくて
考え方の仕組みを事故によって起きた環境の変化が変えてしまうということで。
で、そこからさらにその環境の変化と私たちの認識のつながり、変化を問わないと
従来の放射能汚染の議論に引きずり込まれて
被曝についてすごく不幸な議論をしてしまう。

被曝というのは現実なんですが
潜在的でもあり被ばくの量をどう図りどう評価するかというのも大変難しい。

だとすれば起きた現実の認定そのものが狂ってくる。
起きているのに起きていないことにされたりしてしまう。
しかもうまいメジャーはない。
これは危機的で現に起きていることだから対応しないといけません。

非常に放射能のことを語るのに冷淡な、あるいはあまりに慎重な方が多いです。
わかるんです。
人口層の多い関東も汚染され、日本の国のあり方を変えかねません。
ですけども
語らないといけないと思っています。
マイノリティとかマジョリティとかの位置も変動して
より厄介な政治社会環境の再編成がおこるかもしれない。
起きつつあってこの変化がこの国の政府や経済のこれまでの失敗を露呈させる。

すると主観のエコロジーも変化するはずなんです。(しかも見えないものである)

こういうことに多くのインテリゲンチャが気づいているとは思えません。
今回は災害の後事故が起きたことで、
災害そのものに放射能問題が食い込んでいます。
これが瓦礫問題の難しさです。
多くの方が核の事故の被害を抑圧する方向に向かっており
それをどう明らかにしようとしても人を傷つけかねない危うい橋を私たちはわたっているのです。

言論が自由ではありません。
苦しいです。