細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

血を流し続けている-赤坂憲雄/小熊英二/山内明美『「東北」再生』を読んで

「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

短いがとてもいい本だと思った。
「東北学」を立ち上げた民俗学者赤坂憲雄氏が復興構想会議で、「福島」について提言したことを軸に小熊英二と山内明美が参加して語る感じ。

小熊も指摘するように東北といってもひとくくりにできないほどの巨大な地域である。ずっと人や資源や食糧を供給する基地として位置付けられてきてしまった。今回の事故と災害で、小熊と赤坂はそれなりに国富の配分はあったけども結局原発が爆発して近現代の日本が非常にいびつな形成のされ方をしてきたものとして東北の被害を見なければいけないという点は一致している。

私は東北出身者の知り合いがいないので、なかなか知らないことが多い。ただ知人に聞くと東北の方々は、日本の歴史の中で東北がずっと圧迫を受け続けてきたこと、そういう敗北の歴史の中で「負けないぞ」という気概を持ってきた、そういう気持ちを持っている方は多いと話していた。

日本列島といっても、まるで均質ではなく、同じようにテレビや携帯があっても生きてきた歴史がずいぶん違う。同じでないからには「まとまって頑張ろう」とはちがう「つながりかた」が必要である。また人々のことを安易に助けようとか、どうこういえる人が政府や経済人には多いのだが、あるいはそういう人だけでなく復興とか応援という言葉にも違和感を感じ続けてきた。
それは私が自分が苦しんだ時も、福祉で対人援助をやっていたときもすごく感じていたことだ。

小熊が指摘するように今回の災害事故の前から過疎化は進んでいた東北。赤坂は原発が爆発し津波による被害など広範な環境汚染が進む中で自然エネルギー供給基地として福島を復興したいと述べている。

津波原発事故によって子供や若い人の住みにくさが増大したと思う。そしてそういう中で赤坂は、「がんばろう」が連呼される中で、東北の復興の困難さをこそきっちりと当事者の方々と話していかなければならないだろうと述べる。

この災害と原発事故は厳しい日本の状況を正面から突き付けるもので、この正面から逃げてはならないと私は思う。赤坂は放射能汚染への見通しはそれほど悲観的ではない。私は悲観的である。

なぜかというと放射性物質は生命に対する潜在的な危険を、見えない、際限のない不安をもたらすからだ。
その不安や苦は説明しがたく目に見えない。見えた頃にはかなり病が進んでいるということは、井伏鱒二の『黒い雨』なども伝えるところである。

放射性物質はナノ粒子*1となって降り注ぐ。ナノ粒子が体内でどういう動きをして、人の生命の母体、基礎単位、設計図を攻撃するか見当がつかない。
しかし最悪の事態も念頭に置きながら、少しでも被害を少なくしていく努力をこの国は一丸となってすべきであり、それは絶望的に難しいがしないとおそらく私たちはずいぶん後悔するのではないだろうか。

このような人口密集地で被ばくが起きたのは核実験の時以外類例を知らない。
被ばくした人々を看取った肥田舜太郎医師は、放射線被ばくに根治的な療法はない以上、体を大事にする、しっかり睡眠をとりゆっくりご飯を食べて栄養を取ることが大切だとおっしゃっていた。全員が死ぬというわけでもないと語った。しかし肥田先生の目には多くのなくなった方の顔も浮かんでいることだろうと思った。

話を本に戻すなら、山内明美氏が率直な東北への心情を語っていて、90年代にも冷害があったときのこと、数十年前なら餓死者が出ただろうというレベルだったこと、震災の直前ある方が海に入って作業をしていたら海底から真っ赤な血のようなものが浮かんできて驚いて陸に上がると激しい揺れを感じたというエピソードを紹介して、東北が血を流していると述べるところ。

放射性降下物、津波なども含め私たちの大地や命が割かれようとしている。この苦しい認識からこれからの私たちを構想しなければならない。
むろん政府がこのままならダメかもしれない。しかし変わりたいしできる限り変わろう、そうしないと何だか申し訳ないと私は思った。

何かが血を流し続けている。
ずっと、これからずっと。
その傷口を私たちは抱えて生きていく。
大事に。ずっと。

*1:といってみたがむろんミクロンのものもあるだろう。僕はここらあたりも苦手な科目でよくわかっていないと思う。