細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

放射能汚染された廃棄物問題−なぜ自然や人々が危険にさらされており、それと戦わなければならないのか

この動画は重要な論点を提出している。
私は安易に陰謀論に与したくない。ガンダーセンのファンでもない。

しかし彼の言う説明を援用しなければ説明しがたいことが多すぎるのも事実だ。

なぜ東京湾をはじめとして、放射能汚染されている廃棄物を焼却埋立することができてしまうのか。ただ処理する土地が足りないだけではない。そう私は感じている。
国際世論はなぜ抗議しないのか。日本国民はなぜ静かなのか。

考えてみればわかるが、食料品の汚染基準の緩和、被ばく線量基準の著しい緩和、大量の廃棄物の放射能汚染基準の緩和、これらはほぼ連動している。緊急時はもう過ぎている。基準を厳しくし国民の生命を守るのが政府の仕事である。それをしない。

ヒントは経済である。経済を守るために日本国民に被ばくをがまんさせるように強いているわけである。いろいろな理由がある。農業や水産業の被害もあるからか。しかしそれだけではない。
避難や移住がこの国では難しいのか。ここも決着がついていない。


考えられる原因の一つに電力会社を破たんさせないためである。
それに連なる様々な権益を守るためである。
それに関わる責任者を庇いたいからである。
そのために日本人に被ばくを甘受させようとしている。そのためなら、全国の自治体の住民の間で、放射線リスクをめぐって、いさかいが起こるのも辞さないのだ。

大変危険なことである。これでは今後の日本社会は持続できない。国民的危機である。しかし国民的な規模での危機、世界的な海洋、土壌環境汚染を、人々の被ばくの危険を引き起こしても守りたいもの、それが恐らく利権なのである。

私は廃棄物の問題を追っている。
むろん災害廃棄物の問題は放射性降下物(ベクレルは少ないといわれているが余りに大量なので手が回らず確認しきれていないと思われる)に加え、家屋や工場などの破壊で流出した他のアスベスト、化学物質、重金属などの汚染も加えた複合的な環境汚染問題である。
関東近郊の廃棄物の場合、懸念はまず放射性物質の降下物による汚染である。

それらの処理スキームをつくったのは環境省である。
放射性物質をはじめ、公害で問題になったような複合的な環境汚染の懸念のある廃棄物を全国の一般焼却炉で燃やし全国の処分場で埋め立てるということは、単に復興のためではないと私は思ってきた。なぜなら被災地のみならず全国の環境汚染リスクをさらに増大させるからである。
このような現代の都市圏を汚染した核汚染は例がなく津波地震も混じっているが少なくとも世界的に見ても燃やすということはカサは減るけどもその分、環境汚染や濃縮による灰の管理を含めて危険が大きい。

これは今後のこの国の死活問題である。この国の将来を憂えるものなら、適切で安全な管理と処置を求めるのが妥当である。
復興のためならば丹念な現地の汚染調査と、放射性物質の汚染程度に応じた丁寧な管理、あるいは化学物質であれば丁寧な処理過程が必要である。
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/120101/mca1201010500000-n1.htm
そうしないと現地住民の健康をも守れない。
したがって、全国に拡散させる前に現地でのあらゆる物質の大規模な汚染調査が必須である。
それは国土とそこに住まう人々のために必要なことである。

しかしそれは政府はしない。早急に一般焼却し埋め立てしようとしている。

なぜか。ここでガンダーセンの動画に戻ってみる。
答えは明白に思える。
日本政府の、このような数々の危険な行為を正当化する仕組みがあるからである。日本に住む人々の生命財産を危険にさらしても守りたいものが政府や日本政府を守っている様々な利害関係者にはあるということである。
この動画で話題になっている機関は公平ではない核兵器監視体制やチェルノブイリの核汚染の評価にもいくつかの疑問が突き付けられている。

戦慄すべきことだ。
この事故は本当にこれまでの核汚染と同じ経過をたどりかねない。いやたどりつつあるのである。

しかしそれのために我々のかけがえのない自然環境や未来の生命や生活が失われかねない。
それを許すのか許さないのか、今後の人間の生命がかかっている。
低線量被ばくのリスクが不明確なのをいいことにそれを進めている。
これに最大限警戒しなければならない。

そう考えるべきだと私は思う。
これは原発の危険と同じように大事な、警告すべきことだ。
私はガンダーセンの支持者ではない。
しかし今回のこの警告は重要な警告だと私は考えている。