細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

福島県飯館村の酪農家長谷川健一さんの講演を聞いてきました。

みなさん寒いですが体調は崩されてないでしょうか。

昨日西成にて、福島県飯館村の酪農家長谷川健一さんの講演を聞いてきました。
http://hanamama33.blog130.fc2.com/blog-entry-487.html
長谷川さんは飯館の危機的な放射線の実際、事故の後村民が御用学者や政府、村長ら幹部から放射線の実態を伝えられず右往左往する中、牛や村の子供たちを守ろうと集団移住の道はないか探り続けてきたそうです。長谷川さん自身は牛を手放し、伊達に仮設をたて村の仲間たちとともに孤立しないように暮らしながら、福島の危機的な現状を全国に伝え続けているようです。

飯館はいま−4℃とおっしゃっていました。

長谷川さんは太い声のがっしりした男性です。飯館村の区長さんとして過疎化する村をよくし酪農家をまとめていた方なのですが村長が放射線の害を軽く見たり除染で行けると言い続けて移住に協力しないため、元々は酪農仲間だったのですが事故以来、ケンカし続けているようです。

原発事故でこのように人々の間を引き裂くということがいま日本のあちこちで
起こっていて瓦礫や食品についても過小評価する人と危険だとする人で対立しています。これは心理的なものもあると同時に、事故時のパニックを起こすまいとだけしていた行政の無策、隠蔽が大きく傷跡を残しているからだと思います。無論被ばくする、土地が汚染されるというショックも大きいのですが、それだけではなく非常時に政府、大企業や自治体が危機管理ができていないのです。
長谷川さんは事故直後から魚住卓さんや広河隆一、今中哲二さんらと接触し続けデータをみて自分で判断して放射線の危険、被ばくした福島の子供たち、生産業の未来が心配だといっていました。自分で考え危険をよく知ることが大切だ。と長谷川さんは再三訴えていました。
被害地域の現状を知ることで、一層危機について知ることが出来ました。
昨日ツイッターでつぶやいてみたのでより細かい内容はこちらをご覧ください。胸が痛くなるような状況です。そしてこれが今の私たちの社会の置かれた状況なのです。これは東北だけではない。日本全体の問題です。

さてそろそろ飯館村の長谷川さんのお話を聞きに行こう。

posted at 13:21:19

福島原発作業員 「冷温停止宣言」にTwitterで反論開始 | 【EXドロイド(エックスドロイド)】 http://t.co/rwy3E8cW

posted at 17:55:11

飯舘村で酪農家を営んでいて原発事故で被害に遭い牛を手放し伊達に避難している長谷川さんのお話を聞いた。長谷川さんはがっちりして野太い声でその様子を話されていた。避難の選択肢を作りたいという言葉が印象に残った。数μシーベルト毎時を越える飯舘でさえ移住権は保障されていない

posted at 18:01:48

事故直後は放射線量が急上昇したにも関わらず村からは放射線量が公表されず危険が知られ始めると大挙して御用学者や保安院が訪れ安心だとなだめられしかし長谷川さんは今中助教らの観測を信じ危険だといっていたら計画的避難区域に指定された飯舘村。同様の葛藤が福島県内至る所で起きたのではないか

posted at 18:07:58

長谷川さんは様々なジャーナリストに接触したくさん汚染地帯を計測したジャーナリストから情報を入手し、危険を察知したという。村に放射線量を口止めされそうになりニュースでも飯舘の惨状が伝えられずその中で酪農は出来ないが牛は殺したくない子供や孫を死なせたくない皆で逃げようと呼びかけていた

posted at 18:14:50

長谷川さんは酪農家なので、会津地方の牛からもセシウムが出ていることや、より原発に近い地域で牛が難産や死産が増えているらしいという話を聞き、福島県全域が農業や酪農にとって危険地帯のようだと危機感を持っている

posted at 21:14:07

長谷川さんは飯舘は20キロ圏外でもっとも高濃度に被曝したという。それは調査による積算線量でもそうらしい。5年後甲状腺などでガンが多発する可能性は充分ありうると想定していて、住民の移住の仕組みを作るよう促すが村長は除洗一点張りで皆怒ってる。

posted at 21:21:21

それより心配なのは子供などが長期に低線量被曝して20年後にガンなどの再度のピークが来ることだという

posted at 21:21:38

飯舘村の人から聞くと話が確かだ。原発から七キロ地点に友人がいて避難の支度をしていたら一号機が爆発。ドスンと家が揺れて轟音が炸裂したため奥さんと鍵もかけずに逃げてしまったという。

posted at 21:25:41

長谷川さんは広河隆一や魚住卓など原発被災地を取材慣れしている人でも驚くのだから大変な事態が進行していると感じたが他のマスコミに説明しても30キロ圏外の飯舘の危機を伝えられず「北西に伸びたコブ」の部分を書いてくれとか最後は「そちらは本当に報道してくれるのか」と確かめてから話した

posted at 21:31:14

飯舘の長谷川さんの話は聞いたほうがよい。現在の危機がよくわかるから優先度の低い議論はしなくてよくなる。自分の近所からプルトニウムが出たり牛を手放したり孫たちを逃がすのに苦労したりした人の話だからだ。リアルだからというよりも己が見たものをいっているからだ

posted at 21:36:12

その人がみたものをしることは自分が試されることだ

posted at 21:36:27

飯舘の7割が山で、それ以外の町や建物の部分を自衛隊がかなり除洗しても少しだけ下がる感じ。山から汚染物質はいくらでも降りてくる。

posted at 21:41:25

第一農家や酪農家がそんな場所で客に自信をもって作ることができないから生活が出来ない。そういう場所は福島の至る所にあるがJAや県も当てにならない。揚句に国家は冷温停止だという。まったくおかしすぎると長谷川さんはいう

posted at 21:41:41

書き洩らしましたが、長谷川さんは500ベクレル以下なら今の日本ではものを売れる。しかし酪農をやってた経験から言えば、じゃあ499ベクレルで大丈夫かっていったらそんなふうでお客さんが安心して買えるとも思えない。お客さんに安心してもらう牛乳を売ろうとしたらとても難しい。とも、また酪農家の仲間たちと会議して今後どうするかを決めるとき「絶対廃業といわないようにしよう。俺たちは「休止」なんだ。そら実際飯館で酪農はできない、余所でできるかというとなかなか難しい。だけど「辞めた」といったら東電はお金を出してくれない。だから休止だ」と(長谷川さんの酪農仲間で「原発さえなければ」と書き残して自殺された方がいて、おそらくそのことが長谷川さんを「伝えなければ」と駆り立てているものなのかもしれません)
その前長谷川さんは牛乳を出荷停止され、しかし牛は乳を出さないとおかしくなるので出した牛乳を裏に穴掘って捨て続けました。この映像も切なくてなりませんでした。(その後牛を屠畜要請されて、汚染が減った牛は殺さないでくれと国会に陳情に行ったりしたエピソードも語られています)
また飯館でジャーナリストや、今中助教が測っている数値と、モニタリングポストの数値が違いすぎる。おかしいと思うとモニタリングポストの周りだけくっきり高圧洗浄機で除染した跡があったというのです。真偽は確かめられませんが恐ろしいことです。

また避難についても住民に自主避難より固まって避難したほうがいいよといったのだがバラバラに友人親戚を頼って避難した人がいたが、避難先で居づらくなって帰ってくる人が続出し、困ったと。ご自身のお孫さんたちも関東へ避難させたが、母は仕事で残らざるを得ず、お孫さんが一週間経って母恋しくて泣きだししょうがないから福島市内で避難先を見つけて息子夫婦と親夫婦を落ち着かせたらそこがホットスポットで、伊達に今来ているとか。その伊達も木造にして温かみをだし、近隣に家があり(宮城では山の中に仮設を作って孤立した例がある)村の仲間たちと一緒に固まって避難しているとか。なぜなら阪神大震災の時に、老人の孤独死が多発しそれが心配だったからだということです。

飯館は元々周辺の地域より小高い山の上にある村で、周辺の地域に行くときは必ず降りて行かねばならず「山地から来た」と差別されていたこともあり、高齢化も進んでいたが「までい(几帳面、誠実、丁寧という意味の東北弁)」村づくりをやって日本の「美しい村」に選ばれたり子供を育てやすい村を目指していたそうです。今後の日本のコミュニティモデルと目されていた地域、それから豊かな自然が破壊されたことに悲しみを覚えます。長谷川さん自身は海の汚染も大変心配して、このままでは東北太平洋岸全体の危機でもあると憂慮しておられました。

地震の被害の時長谷川さんは畑仕事で作業機械に乗っていて、携帯の緊急地震速報で車を降り畑を見たら畑が海のように波打ち地割れが出来、大ごとだと逃げて家や近所を確かめると石垣や瓦が壊れる程度。しかし津波にあった相馬から避難民が押し寄せ、彼らを手当てしているうちに原発が危険な状態だと知り…という感じのようです。
なんということでしょう。


長谷川さんがドイツで放射線防護協会などの前で講演した記録があります。以下も参考になさってください。
http://d.hatena.ne.jp/eisberg/20111127/1322433832
フォトジャーナリスト魚住卓さんが事故後の福島を撮影したもの。長谷川さんのお姿もあります。
http://www.morizumi-pj.com/shashinten/fukushima.html