細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

大阪府第5回災害廃棄物検討会議の傍聴をして感じたこと

大阪府の第5回災害廃棄物検討会議に行ってきました。
大阪府/災害廃棄物の処理指針に係る検討会議について
検討会議の座長の傍聴者の取り扱い方の乱暴さもさることながらマスコミの報道の仕方も大変問題だと思いました。
一部府民がヤジを上げている妨害しているとだけ報じているからです。
決まりきったルート以外での社会参加というものはあってはならないといわんばかりです。新聞はすでに社会参加のあり方を規定し決めつけ「この列よりはみだすものは異常である」と烙印を押しているかのようです。彼らはおそらく傍聴者の言葉の内容をきちんと聞けていないのです。
そういう精神の硬直化こそが抗議や抵抗する人々を「ラウドマイノリティ」の位置に貶めてきたのかもしれません。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111208-OYO1T00434.htm?from=main3

実際の様子を皆さんの目で確かめてください。
2番目の動画の3分45秒過ぎあたりから抗議が始まっています。
最初の質問も委員がきちんと答えてしかるべきであろうと思う内容だと思います。
これは5回目ですが府民の声が生かされているのか不安を覚えます。
私も大阪府環境省に提案や質問の電話やメールを送りよりよい処理の方法がないか考えたいと思い、しかし埒が明かずに粛々と進められる検討会議に不安を覚えて傍聴したのでした。
http://www.ustream.tv/recorded/18977671

http://www.ustream.tv/recorded/18977932

http://www.ustream.tv/recorded/18978527


確かに傍聴していて抗議の声は聞かれました。
ひとによっては不快に感じられる方もいるでしょう。
しかしその抗議の声と私の思いはほとんど同じでした。
この大阪は、この国は被災地は大丈夫なのだろうかと、被害を支援するのではなくこれでは被害をあちこちに拡散させているだけではないだろうか。
廃棄物を燃やしたり埋め立てたりしてこの土地や私たちや次に生きる子供たちの健康は破壊されないのかという思い、受入れが被災地の支援につながるのか疑問だ、汚染が広がったらこの大阪や日本はどうなるのか責任はだれが取るのかというごく普通の声であり、被災地の雇用を奪うな、被災地に補助金をというメッセージも聞かれ、それらは全くおかしな論点ではないと私は感じました。
それどころかそれらの疑問点や改善点の指摘が全く反映されないまま進められる検討会議が府民の利益や健康を守る観点や本当の意味での被災地の支援を進めるものなのか腑に落ちない点が残るのにそれらを一律に不規則発言と決めつけ真摯に応えない府の担当者や検討委員への危惧を覚えました。
会議は中断されてしまったため、傍聴人の人々は別室で環境産業技術グループの担当者と話し合いを持ちました。

最後に元京大原子炉実験所所属の研究者海老沢徹氏が傍聴(!)され
この廃棄物受入れの検討会議の問題点をコメントしておられます。
重要なので張り付けて書き起こしておきます。
http://www.ustream.tv/recorded/18989839


検討会議の1、2は注へ*1

今日の検討会初めて出たんですけども気が付いたのは二つほどありまして。
ひとつはですね、要するに汚染をね、拡散したらいけない。やはり発生地点できちっと処理をする。でそのために、あの全国がそれを支援するというのが本当だと思うんです。その原則がね、守られてないような。
それからもう一つ検討会の話を聞いていてですね、要するに1ミリシーベルト以下であればなんでもないよという、害はないよという、そういうセンスを非常に感ずるわけですね。
で、放射線の場合はとくにそうなんですけれども、要するに100ミリシーベルト以下のね、被害をですね、実証するっていうのは非常に難しい。それは、その放射線障害にかかわる例えば癌をとれば、バックグラウンドがものすごく大きい。だからわからないわけです。でそういうわからないことがたくさんあって、しかし色んなこれまでの経験からですね、そのさまざまな影響が出てるみたいだということはよくいわれるわけですよ。被ばく事故がある場合。
やはりその辺から、関連してその検討会なんかでも委員の先生方はですね、1ミリシーベルト以下であればいいんだという、なんかあの雰囲気を感じますね。それだと放射線の被害をね、心配している人との対話が成り立たない。そういう風に感じました。大体簡単に。

このように廃棄物の処理は、放射線防護の観点、あるいは汚染拡散を防止する観点から、放射線影響を一定程度慎重に見る専門家では考えられないような進め方をされているようです。

またもう一つの論点です。
環境省による災害廃棄物広域処理の説明です。
被災地の現状の部分もわかるのでできるなら引用部分以外も読んでください。

http://www.env.go.jp/jishin/attach/waste_koiki_mat20111206.pdf

8,000 Bq/kg以下の焼却灰については、周辺住民、作業者のいず
れにとっても安全に埋立処分可能

※対象とする核種:「「プルトニウムストロンチウムの核種分析の結果について」(平成23年9月30日文部科学省)においては、「セシウム134、137 の50年間積算実効線量に比べて、プルトニウムや放射性ストロンチウムの50 年間積算実効線量は非常に小さいことから、今後の被ばく線量評価や除染対策においては、セシウム134、137の沈着量に着目していくことが適切であると考える。」とされている。

驚くべきはこの焼却灰の濃度レベルもさることながら、焼却灰のプルトニウムストロンチウムは量が小さいから全然問題ないといわんばかりの対応に驚きます。放射性物質を含んだ廃棄物をどこであれ大量に一挙に燃やすことの危険性や疑問点に環境省大阪府が答えているとは思えません。
それは検討会議でも明らかで、政府見解を追認し続ける限りであります。
私は大阪府だけではなく被災自治体や全国自治体での燃焼埋め立ても心配なのです。放射性物質だけでなく様々な化学物質で汚染されている可能性があり、はたして一般焼却が妥当なものかというところから議論しなければならないんです。むろん量は大量ですが私も先日書きましたようにいくつか案も出ているのです。(環境省の災害廃棄物処理に関する提案 - 細々と彫りつける

政府が被災地の事情、受け入れ先の自治体の事情、そもそも放射性廃棄物の燃焼や焼却灰の濃縮、それらの管理の安全性などを丁寧に勘案したら到底出てくることが考えられない内容です。
これは被災地の災害廃棄物や関東の汚染汚泥の焼却埋立にも付きまとう問題であり、環境省や政府の放射能汚染対策のばらつきや拙速さが自治体に押し付けられてしまっているのではないかと思うのです。

また廃棄物の燃焼や埋め立てへの懸念を政府や自治体が十分理解していないのであるとすればそれは人間が生きる環境をいくらでも汚して構わないというこの国の態度の表れであり、福島第一原発が汚染水を流出させても何ら構わないような態度にも通じるものがあります。投げやりだとしか思えません。
汚染水については早い段階から小出裕章氏が、地下水や海への流出を避けるための工事を再三訴えておられますがなかなか進捗していません。

これには全漁連も怒りの声を上げています。
http://savechild.net/archives/13410.html

これ以上環境汚染が進むと日本の商品は今でも輸入規制を各国から受けておりますのに全く買ってくれなくなります。
農林水産省/東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う各国・地域の輸入規制強化への対応
http://www.maff.go.jp/j/export/e_info/pdf/kensa_1209.pdf
子供らが安心して住める場所がこの日本から失われてしまいます。
それはこの国の滅びを進めるものであり、早急に汚染物質の拡散を阻止し、被災地をこれ以上汚染せず、汚染地帯の住民が安全を確保されるよう訴えていかねばならないと柄にもなく私は思うのです。

社会運動的な感じを持たれるかもしれませんが、なぜこういう問題に関心を持つかというと私が長年病気で苦しんできて、自分の体をいたわることの大切さを覚えたからです。人間の体は人によってその丈夫さに違いがあるのです。
実は放射線の世界にも放射線感受性というのは個体差があるという説があり、個体差だけでなく、年齢によってもずいぶん違います。胎児や子供の放射線感受性は大変強く放射線の影響で命が傷つけられます。
彼らは成長しようと細胞分裂をするのでその時に放射線の内部外部からの攻撃を受けると細胞の遺伝子や構造が傷つけられてしまうのです。
様々な弱さをかかえ持った命が存在しています。それは人間だけでなく生物界全体がそうです。生物界は優者劣敗であるような印象を持つ方もいますが様々な生物もその生物独自の世界秩序を持ち必ずしもそうではないという印象もあります。
つまりは私の今回の放射能事故への関心や被災地の関心は自分の心身の弱りやすさを起点として考えられており、その弱さを擁護するためにも、日本社会の暴力性を何とか減弱させていきたいと思っているからです。