2011-09-15 日常への覚書 声 いつもいつも望む通り楽しくなることはない。そんなにうまくいくことばかりではない。が、だからといって楽しいことがまるでないと思い込むのも世界や自己を過小に見て己を苦しめているのである。だから楽しく生きることは可能だ。絶望が徹底すれば何者かになり得る。不徹底な絶望では僕は絶望することすらできていないことになる。それは避けたい。一度「希望がない」地点に立たなければ希望を生み出す理由も生まれない。