細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

うまいまとめはないけども滅びの道に陥らないために

 現在の政府が行っていることは要約すれば簡単なことです。行っていることというか、反対に行っていないことつまり不作為です。
 行っていることでみれば、いくつかあります。しかし行っていないことがより強力なメッセージとなって私を、そして多くの方々を絶望させます。
 それは原発事故で生じた被ばく者を積極的には救おうとしていないということであり、歴史上最大というべき事故のより積極的な終息を目指すために東電任せではない、事故処理対策のチームを作っていないということであり、そういう状況の中でより多く作業員に被ばくをしいているということであり、最後に汚染された土や食品で生じた被害に誠実に向き合おうとせずに、生産業が崩壊し、だらしなく全国に汚染を拡大させようとしているということです。
 (やっていることとしては、放射線量測定、食品の測定、規制、各自治体による上下水道の監視などです。しかしそれらはいまもICRPの危機的な緊急時の基準ですし、稲わらの問題を見ても網羅的とはいいがたい。除染についても遅まきながら着手し始めてはいるようですが…)

 私はある時菅内閣脱原発政策自体は評価しました。(詳しくはこのエントリでその時のことを書きましたなぜ原発に頼らない社会にしたいと総理は言ったか考えてみた。 - 細々と彫りつける)それはこの頼りなき国家元首ですら、恐らくいくつもの失策を犯した彼だからこそかもしれないですが、原発は危険だということだけは学び、その道をこれ以上先に進まないと発言したからです。そして浜岡を止める命令を発して、玄海原発に遅れながらも待ったをかけました。他の方が総理ならばまるでできなかったことではないだろうか。そしてとりあえず原子力政策の見直しに言及した。(再生エネルギー法案は通りそうですが、しかし原発に替わるエネルギーの体制を確保したとはいいがたい)しかしそのときも私は原発事故対策や、経済社会保障政策ではかなりダメだと思っていました。
 脱原発以外はほとんど前進もなく、その脱原発瓦礫焼却で汚染物質の基準を著しく引き下げている環境省にゆだねようとしている。社民党もそれに賛同してしまっている。
 どれもとんでもない話で血管が切れそうですがあんまり怒ったらまずいですね。
 まずいんですけども、おかしいなということは言わなくてはならんと思うのです。さらにこの上、財務大臣のようなお方が、円高にも不況にも何の手を打とうともしない方が、原発問題にも当事者でありながらなんの定見をお持ちかも明らかでない(やるにせよやらないにせよ)方がこの国のトップを目指して大連立だといっています。

 つまりは生命という視点から見た場合、日本の政府はとんでもないです。こんな国でよく暮らしてきたなと思います。こういうのを我慢してはいけません。
 なぜなら我慢してはいけないことを我慢したあの日からこの国の腐敗は拍車がかかったからです。日本が戦争に負けたのは、日本に道理もなかったからですが、戦争に道理なんてありません。した国はどれもとんでもないのです。でも原発をつくっておいて、つくったのはお前らの繁栄のためだと述べて平然とし、そういう政党が引きずり下りたやれやれと思えば、爆発すればお前らは騒ぎ過ぎだバカじゃないかといいながら、自分だけ完全武装で現場入りする人が政府の首脳(及び与党幹部)*1です。終わっています。こんなくに信用されるわけないでしょう。

 原発のことをいうと、原発のことばかりいうなといわれそうですがそうではありません。原発のことに政府がかかりきりだというのは事実ですが、原発津波地震災害も同じ地震から発生しており、その評価に国、国会は失敗しているか、うまく真実に向き合えないために住民の不信や混乱を引き起こしていると疑っています。政府も難しいなら自治体や専門家、広く住民と連携すればよいのにそれが素直にはできていないような印象を原発事故では特に受けます。それはそれまでの既存の構図が壊れ抑え込まれていた諸力が噴き出しているようです
 津波地震災害の場所と放射性物質のあった地帯はいくつかかぶっている部分もあることもわかります。(後述の地図をご覧ください。これは瓦礫問題、復旧と関係してきます)また東北被災3県面積も広大で、三陸リアス式海岸の距離は大変長い。そこが津波地震でまだらに破壊されています。こちらの航空写真図、いくつかをご覧ください*2その中に原発のある福島の浜通りも含まれているというわけです。したがって津波地震災害の被災地を救うにはどうしてもその周辺沿岸の漁村農村居住地の被害と福島第一の事故の関係も考えねばなりませんし、またそもそも第一原発の事故である程度適切な見通し、つまりその困難度も含めた正直な問題との向き合いができない政府国会であれば、広大な津波災害地の復旧ができるとも私にはあまり期待できません。(しかも地震の影響は内陸の住宅地などにもあります)どちらも津波地震動によって破壊されています。つまり相手は地球のプレート運動や活断層による破壊であり、その規模の適正な評価なしには復興という言葉は前のめりになってしまう。無論評価ばかりしても仕方ありませんが、手当てをしながら現実の複雑さの地図を作製しなければならない。現実の地図、方向感覚がないとそれに対して前向きとか後ろ向き、進んでいる進んでいないという言葉は意味を持ちません。
 そこで思い出すことは、僕は津波被災地の一つ気仙沼ツイッター情報を追っています。少年のものですが、避難所で津波災害の番組を見ているというのでフォロワーたちが「ショックじゃない?」と聞くと「でもこれは現実なのでここの人はそれを受け止めようとしています」というやり取りがありました。その避難所の場合ではハエや食事の単調さ、暑さに困っていたようです。たのしいことはミュージシャンが慰問にライブに来たり、あるいは少し離れたショッピングモールに行くことのようです。(撤退する店があり新しく入る店があるようです)今は扇風機や食事の変化も見られ少しずつ改善されているようですが…彼が送ってくれる情報は僕にとって一番ビビッドな情報です。テレビでも国会でもこの情報はわからないから。
 また被ばくの問題は、送り火の薪の問題として、つまり福島以外の土地でも明らかに問題であることがわかりかけています。文科省も航空から線量を計測した地図*3を作っているので明らかなことなのです。
 明らかな課題があり、政府は自分たちが責任をとるのを拒んでいます。あるとき、ある議員が国会で海江田大臣に質問しました。「低線量被ばくでは統計が出るのに数十年かかる。例えばしかし10年後に福島の方がガンで死んだらどうしたらいいのか。国は責任をとれるのか?」とそしたら海江田大臣は「10年後に国に裁判を起こせばいい」と言い放ったのです*4。これはテレビでも国会中継になりました。

 とんでもない発言です。おかしいのです。終わっているのです。それは新聞記事にもなりません。こういう政府の姿勢を擁護することは誰にもできないはずです。どんな科学を持ってきても、無理が通れば道理が亡くなります。道理が亡くなったら人は生きていくことができなくなります。

 なぜでしょうか。人間はただ生命として、宇宙の中に生まれてくるのです。私たちはこのかけがえのない、信じられないようなことが積み重なった地球の大気や土や水のおかげで生きて死んできました。そういう人類です。
 そういう人類である私たちはただの一人の人間として、人と助け合いあるいは反目しながら暮らしています。
 とても美しいことやひどいことが歴史上なんども起きてきました。しかし地球に元々あったのではない(ラジウムラドンウランカリウム40など以外の)放射能に触れ始めたのは、高々ここ数十年です。進化的な歴史から言っても新しいものです。
 まだ恐らく我々はその事態に適応していません。ですから、チェルノブイリからもまだ四半世紀。わからないことがたくさんある。我々はこの放射能の災禍に苦しむことになるやもしれません。

 僕にはそういう基本的な認識があり、そしてそういう放射能がこわいこわくないという以前に、そういうものをばらまいて平然恬淡としている人や機構というものはわけのわからないものです。
 僕はそういう恐ろしいものを平気で撒いてあるいは撒く理論的あるいは実践的手助けをしておいて、まだ反省がない人のことが理解できませんし、安全だ危険だということが意味がわからないし、(むろんそういう議論をしてもいいし今後のためにもなりましょうがそれは置いておけば)今生きている人やこれから生きる人のことが大事ではないかと思うのです。
 そういう今生きる人の為に科学も思想もあるのではないですか。無論多くの例外はあるでしょう。しかしある時までの科学者-哲学者は人類を殺そうとか生かそうという前にそれをきちんと見て感じようとしたのではありませんか。
 今生きている人のことやこれから生きている人のことを放棄したり、その命を脅かすものに備えないならば、その共同体は滅びますし必要な道理がないものと思います。道理とはそういうことです。
 したがって僕が長らく不信の目を持って見て生きてきたこの日本という国の本性が現れたのでありましょうし、そういう滅亡を緩慢に受け入れるような、いい意味で事態を正面から受け止めるのではなくだらだら受け入れさせるようになった時に、この国は滅びの危機にあります。
 前の戦争もそうでしたから。

 いま被災地の方々は懸命に生きています。私は別に道学者のようにそれにこたえるべきと白々しくいうのではない。しかし被災地の方々がまだ諦めていないということは私たちが諦めていいということにはならないということであります。
 それは逆に言えばもっとも苦しんでいる人を一人でも多くすくわければならないということですし、それは震災や原発事故のみならず同じです。懸命に生きて死ぬ人、人というものは生命である限り必ず懸命でありますからその声に耳を傾けることが大事です。
 これはヒューマニズムですらありません。生きているという基本的な事態に即応するならもうそういうことしか残っていないということです。
 ※8月14日午前11時台に脚注資料を付けました。そして地震津波災害について大幅に加筆しました。
 

*1:枝野長官http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52452576.html岡田幹事長http://www.fiveone51.com/article/199981001.html

*2:youtubeでの前後の比較動画(発生当初ですので変わっています)http://www.youtube.com/watch?v=P4VCc9rk_Ug 海外の衛星写真(写真中のバーを動かすと津波前後が変わります)http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/13/world/asia/satellite-photos-japan-before-and-after-tsunami.html?ref=asia国土地理院http://saigai.gsi.go.jp/h23taiheiyo-ok/photo/photo_dj/index.html

*3:文部科学省及び栃木県による航空機モニタリングの測定結果についてhttp://eq.wide.ad.jp/files/110727release1.pdf →なおこの地図は滋賀県辺りまで作成されると聞いております。もうひとつ岩手大学農学部が作成した岩手県放射線量マップがあります。http://news7a1.atm.iwate-u.ac.jp/~grass/radiation_iwate.htm

*4:平成23年8月1日第13号参議院東日本大震災復興特別委員会http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0207/main.html(引用)○古川俊治君:分かっていないんですよ、大臣、三十年たたないとそのデータが出てこないから、相当因果関係の判定が難しいと言っているんです。三十年待たなきゃ出てこないんです、因果関係があるかどうかという、その基本調査のデータが。だけれども、十年たってがんで亡くなる人はいるから、そのときどうするんだってお聞きしているんですね。それ、どうなんですか。○国務大臣海江田万里君):それは、十年なら十年でもその方の、少なくとも福島にいらっしゃったということ、それからその方の行動の記録なども残っているはずでございますから、その意味ではそうした損害賠償のことを起こしていただければよろしいかと思います。○古川俊治君:この調査の内容についてもうこれ以上申し上げませんが、福島県がやっているお話ですけれども、どこにいたか、こういうアンケート調査方式でやっているんですね。ところが、その記憶も不正確ですし、あるいはそれを被曝量を当てはめる、それも先ほども言いましたけれども、まだら状になっていますから、被曝が正確に取れるわけでもないんですよ。そういうことから考えると、極めてこれはあやふやな調査ですし、あれが将来の因果関係の訴訟の問題になったときに、これは正直に申し上げておきますけれども、因果関係の判定においてどれほどの意味を持つのか。意味のない調査をやってもしようがないですからね、その点をしっかり監視をして続けていただきたいと思います