細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

吾輩はいつもどこか不機嫌である。 その不機嫌に名前はない。

吾輩はいつもどこか不機嫌である。
その不機嫌に名前はない。
漠然と世を恨むことあらば、反対に春の日の人々の歩く姿に惚れる時があり、少しの言葉に棘をいちいち発見するような時があれば、鷹揚に人の話をきこうとしている時がある。
詩を書くときはいつも歩いているときの記憶を想起する瞬間が多い。通りや道を歩いている時だ。
買い物や銀行や散歩などほとんど小さな用事の中でささやいてくる光や風や人々の言葉、出かけ先での少しの出来事などについて書いたりする。
むろん想像をたくましくするときもあるけれども
小説のような描写ではないにしろ、ある光景を、そこに付随する感情や体験を時空間のセットにしていこうとしている。

そのようなとき言葉にするのを助けるのは、憂鬱な子供なりに学んだ晴朗なユーモアであったり、アイロニーであったり、人との出会いの中で学んだ、言葉にしても届かないようなひととひとの間に生じる距離である。

無限というか。
僕らがうまく生きられないとしても、何とか工夫して楽しく、微笑んで生きようとする。しかし
必ず僕らのうちの誰かは死に絶え、僕も死ぬ。あるいは別れる。
そういう深い穴のようなものが
今目の前にある光景の彼方に遠望される。

僕は不機嫌で、あまり器用ではないので
そのような深い生の真実に触れようとしてやけどしまいと
目の前の光景との対話を通じて、その背後にある
僕の記憶にアクセスしようとする。

記憶というか、目の前の光景でさえ、どんどん継時的に過ぎて変化しようとする頼りなさへ杭打とうとする動きも含めて、そこへの不安もわくわくも含んで描く。
ひどく複雑だが読みにくくないようにはしようかなと思う時が多い。

僕は気が狂った時に早く死んでしまうという予感を持ったので、しかしせめてその短い生を生きるなら、書き置いておく大事な光景があるとおもい、書き始めた。
意味の分からない子供のころからの砂場や、鉄道や友達や親との葛藤や美しい風景や、それらはどんどん拡大していった。
でも死は訪れなかった。
今度は死がいつ来るかわからないが、今生きつつある生を
どうしのぐかというように書くことへの目的が変わった。

吾輩は不機嫌であるが、そうでもないかもしれない。
しかしひび割れた私の心がすべてをダメにしてしまうかもしれないとも思う。