細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

何かを鳴らしている

 

昨日は小谷美紗子を聴いてた。
今日はすごく久しぶりに矢井田瞳を聴いている。
なぜだろう。
10年弱くらい前の曲だろうか。

どこかふるえているようで、しかし弱いというのでは全くない。こっちをみよという否定できない声というか叫びを発しているようである。

自分の中にもこういうものがあるのではないか。
というか、おおよそ誰でも幽かな、そのささやかな己の存在自体が消えゆく運命であることを知りながら、しかし本当に知ることができないままでその身を持て余して、持つことに耐ええず、崩れようとして声を発している。
発し続けている。
発し続け疲れてもくじけても眠ったり食べたりしながらなお消えゆくまで
何かを鳴らしている。
それがずっと響いている。人が生きている、生きられているというのは
必ずその光景の中にその響きを隠すことができないでいるからだろう。