細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

傷口が治ったから「ほい終わり」ではない。

散歩がてらブラブラ。今日はやたら商店が混んでいる。土曜だから当たり前じゃ。


 さて。
 心や身体の苦痛やその回復について考えるのは難しい。

 何故なら自分の心身が痛んでいる、そしてそのことで他者や世界との関わりの持ち方が下手であるとしよう。
 傷の手当はもちろん、その後にやってくるのは、今まで失われていた生命=人生(life)を「自覚的」に育てるといういわば全課題である。
 傷口が治ったから「ほい終わり」ではない。たゆまぬ歩みを続けながら、ある時は逆戻りしていったりもするのである。
 こういうことに関する知恵や技法について自分は個人的に研究しているが、様々な分野に手を出して一向に進んでいない気がするし、自分でもときどきそう思う。

 しかし生命=人生(life)の欠損や不全感(医学からみてだけではなく自身の実感として)について、考え対処していくには、どうしても哲学的な「吟味」の思考、魂の学としての芸術や宗教、社会関係についての学習は不可欠である。

 むろん私のように本を読むことで、ああ他人にも「こういう悩みがあるんだなあ」と安心しながら思考を継続させ治癒を進めるものもあれば、自助グループなどにいくものもあろう。私もここに書いていないことも含め、人生や人間関係で躓いたり、学んだりしながら回復やより良い生のあり方を進めていること無論である。(しばしば誤解されることがあるので念の為書く。無論自分はあまりたくさん外には出られないので逼塞気味ではあるが)


 良いお知恵があればお借りしたいが変におせっかいを焼かれるのは苦手である。苦手であるけども人や自然から得られる優しさや滋養は得たい。これも苦を持つもの普遍の悩みなのかもしれない。身近でも多くの心に痛みを抱えたものが不安定な対人関係や日常を見ると、「助けは必要。だけどおせっかいを焼かれるとせまられているようで辛く息苦しい」という傾向は私だけでないように思われるからだ。