空前絶後の戦い-ゲーテ格言集を開いて感じたこと
最初のほんの数ページで強度のあるテキストは
そこにある生成やそれを生け捕る確かなフレームを見せてくれる。
買い物のついでに買ったゲーテの本。
19世紀前半で亡くなっている。
空気と光と
そして友達の愛
これだけ残っていたら、
弱り切ってしまうな
こういう言葉をかける人を私は偉いと思うときがある。
自発的に頼るというのはこの上なく美しい状態である。そしてそれは愛なくして、どうして可能であろう。
「自発的に頼る」訳がすごいのかもしれないし、原文もこういう感じなのかもしれないが、これはすごくわかる。見事である。
どんなことが真理とか寓話とか言って、
数千巻の本に現れてこようと、
愛がくさびの役をしなかったら、
それは皆バベルの党にすぎない。
記号秩序を支えるのは何か。
その配列や構成の媒介をするものは
何か。
愛という比喩・言葉でいわれているものが
なんであるか。
私はそれを再現しようと書いているかもしらない。
もっといえば書くということはそれを回復させようとする。
死物から自らを復活せしめんとする戦いなのである。
革命とかつながりとかいうより
カフカに「ある戦いの記録」という作品があったのを思い出した。
そういう感じ。
あるただひとつのケースにおける空前絶後の戦いであり
その空前絶後を我々は無名の存在として成し遂げている気もするのだが
ついにそれが瑞々しく立ち上がってくる瞬間にほとんどうまく出会えない。
しかし
出会い損ねていることでリテラルな、記号表現のありとあらゆる闘争は活気づけられるように思う。
私たちはなぜ本を読んだり人の言葉を聞いたりして
驚くのであろうか。
それは唐突な出会いに向かうからだ。
accidentでありincidentであるような出来事を感じようとするからだ。
ある時は空にあり鳥のはばたきにも
冷蔵庫のしまる音にもあるかもしれない。
そういうものをこの世界に正確に私たちの言葉であらしめようとして我々の
取り組みは活気づけられる。
精神と身体の正確な関係。キアスム。
ほとんどそれは歴史におけるイノベーションを下支えするものであるかの様だ。
私たちは不確かな死物としての情報に駆動されながら
その死物にあったはずのものを
ふたたびわが手に取り戻そうとして戦う。
引用はすべて以下に拠った。
- 作者: ゲーテ,高橋健二
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