両者の接点―新年に思う
新年あけましておめでとうございます。
今年は身体のことをつめて考えなあかんと思います。
身体が周囲とどのようにつながり、またそのつながりから身体が自立し、個別的、人格的(つまり顔をもった)存在になるというところ辺りを。
個の尊厳と周囲との関係、葛藤、協調が連携の中で具体的に把握されなければ
障害福祉がどうのこうの、不況がどうのこうのと論じるだけではまずい。
社会野と私的領域がバラバラに論じられても仕方ない。
また両者の接点をどう論じるかが重要なはず。
つまり区切りとか事分け。私的領域から言語やその人の存在がいかに出立するか
閉域から、自己存在がはみだしてくるところを捉えるのが大事です。
詩は、よくナイーブな内面的な言語、ロマンティックな言語と思う向きが詩を書かない、読まない人のみならず、詩を書く人にも見受けられます。
だけども、人間は社会的存在となるとき、言語的な存在の側面を多分に持ち、また複雑な交渉プロセスに入ります。
複数の異質な現実―言語とのぶつかり合いが現実世界なのです。
だから詩だけではないですけども言語について考えるのは大切です。
詩はそういう場所ですべてを占めませんが言葉が様々なリズムやメロディを持つ限り言葉の詩的側面を忘れられません。
同じ語調が脅迫にも、優しい助言にも響く。このような機序にも論理性はあるはずですから。もちろん言語学、心理学もこれを研究しましょうが、言葉の芸術の論理もまたあるはずです。
また人間は過酷な現実の相克だけでは生きる余裕をすぐに奪われてしまいますので
そこで自分の心身や尊厳をいかに維持するのか、あるいはうまくいかない場合再編するのかそういう課題もあります。
詩だけでないけども私は文章を書きますのでそこでもいろいろ考えられたらと思います。
そしてそれは実際のリアルワールドでもそうでありたいと願っています。