細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

身体の使い方、その狭さ、可能性などなど

 ブログを書かないのはあまり理由がない。理由がないが身体が凝るというのが一番の原因かもしれない。むしろ以前よりはよく歩いたりするようになっている。

 身体の使い方やその癖はそれぞれあるのだろうが、それが恐らく関節や体を知らずに痛めているらしいということがわかってきた。
 人間は自分自身の身体の使い方をそれほど意識していない。座ったり起きたりということは知らない間にほとんど自動化された形で行われているのだが、複数の身体の部分や複雑な連携を行っている。
 最近は寝起きで体が凝っていると自覚するようになったのでパソコンを減らしてみている。少しいい。しかし少しいいだけで、自分の身体の動かし方の癖は治っていないのでなんとなくぎくしゃくしている。しかし病気ではない。

 そのことを医師に相談したら、「歩くのがいいですよ」と言われた。なるほど。しかし「自転車はどうですか?買い物に行くとき自転車でいくのが気分いいです」というと先生は「自転車はけっこう運転するのに気を使うのですよ」という。

 そうだ。最近知り合いとも話していたのだが、自転車の乗り方の荒っぽいのやケータイかけながら運転してるのがたくさんいる。どうも何年か前から比較すると自転車の起こす事故は3倍以上になっているようなのだ。お年寄りが自転車にぶつけられて大事故になったとも聞く。

 僕自身最近自転車に乗っていて、青年時代に感じなかった危険を感じるようになった。住む町がちがうせいもあるだろうが、多くの人は非常に殺伐とした荒れた自転車の乗り方をしている。僕が病気になって速いペースについていけなくなったせいもあろうが、非常に信号無視なども多い。ケータイかけながらなどざらである。
 もちろん印象にすぎないわけだが。

 話はそれたが、だから医師のいうことはよくわかったのだ。「自転車より肩を動かしたり手をぶらぶらしたりしながら歩けば、そしてあまりいろんな危険を考えなくていいなら歩きの方がリラクゼーションにいいよ」というのだった。

 病気になって横になっている時期が長かった。だけどそれも頭や首が疲れているからではないかとか思うようになった。首が凝ることはずいぶん身体的な疲労度を高くするように思える。そうだだから知らず知らずに入っている力をぬいてより必要に応じた体の動かし方をまた組んでいきたいと思う。(身体と制度の問題ともいえる。まるでフランスの20世紀の思想のようである??)

 自分の欲望に気付くには、疲労を少なくしてより無駄の少ないエネルギーの使い方をしなければならないかもしれぬ。そう思って今日はアレクサンダーテクニックの本を買ってきた。

アレクサンダー・テクニックの使い方―「リアリティ」を読み解く

アレクサンダー・テクニックの使い方―「リアリティ」を読み解く

でもまだ買ってきたばっかりでよくわからないことが多いのであたりかはわからない。
しかしなかなか興味深そう。



 実は最近読了本はいくつかある。

 

被爆のマリア (文春文庫)

被爆のマリア (文春文庫)

田口ランディといえば盗作騒動などいろいろあって、あまりそのことはよくわかっていない。彼女の作品にはじめて触れるからだ。この本は原爆から遠く離れた位置にある現在から書かれた違和感や、当事者とはいえない私たちを描いていて悪くないと思えた。ライトな書き方ではあるが、被爆者や被曝にまつわる何かと現代の困難をぶつけるその角度は悪くない。
思想としての全共闘世代 (ちくま新書)

思想としての全共闘世代 (ちくま新書)

現代思想の解説書も多数書いた小阪修平全共闘と現代について書いた遺著である。遺著だが独特な手触りがある。彼の本はほとんど読んだことはないがこの本は正直全共闘について疎い私には入門編としても非常にためになった。これまで彼の本は読まず嫌いだった。
とともに、この「ひとくくり」にされやすい「全共闘世代」は小阪が言うようにそれ自体個々でずいぶん体験のあり方がちがうという当たり前のことを覚えておきたいと思った。それぞれが「自分が名乗ったら勝手に全共闘になれる」そこに小阪は可能性を見出したようだ。つまり自称できるということは終わらせるのもそれぞれの手にかかっている。
それを小阪は「個人主義」や「当事者主義」といい、ならべて語られることの多い連合赤軍の集団の中のパワーゲームと真逆の性質をもっているのではという。
これは小阪の見立てだから合っているかわからないが、興味深い分析だといえる。

「自分のために生きていける」ということ―寂しくて、退屈な人たちへ

「自分のために生きていける」ということ―寂しくて、退屈な人たちへ

これの文庫版の方を買った。斉藤学氏の本もよまず嫌いであった。ACブームの時に複雑な思いがあったからだが、この本は非常にわかりよく丁寧に、嗜癖や共依存の問題について書かれていた。普通に勉強になった。

というわけで最近読んだ3冊は有名でありながら読まず嫌いな著者の本を読んだことになる。
今は

みずうみ (河出文庫)

みずうみ (河出文庫)

を読んでいる。ずいぶんバカにしていた現代文学を読もうと思い、むかしぶらんこ乗りを読んだのでこれを読んでみる。なかなかに気になる話である。

また

国際貢献のウソ (ちくまプリマー新書)

国際貢献のウソ (ちくまプリマー新書)

わが生と詩

わが生と詩

をめくりながら、物事を一国内だけで考えるその誤りや限界について考える。

最近感じていることは自らや自らが感じる世界の閉塞のあり方をさぐりより楽な、親しめるあり方に変換する、それを模索するという感じである。なんとか少しずつ体をほぐしていいあり方を模索できればいいと願っている。