細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

愛するものが…-詩という境位の不安定性 


 作品に、あるいは詩に固着することはできない。それは「新しい作品を作り続けなければならない」という当為を指すのではない。むしろ、詩は、詩と名指されるから不便なのだが、それ自体がその人が発語するという、当たり前でありながら、困難なことを行なおうとする。それはあらかじめ正解のない運動である。つまり既存の「詩」と名指される安定した営為からはなれて、たったひとりの位置にたつことである。
 たったひとりの位置にいて仔細にその位置からみえることを語るならば、世界の存在のあり方をちがう方向から語り、今までのつながりを別のつながりに接続できるかもしれない。そういう淡い期待と多くの絶望に支えられている。
 詩は美辞麗句を書くことでもひたすらに歎くことでもない。どちらとしても現象しうる。

 ランボーは詩人を辞めて商人になった。つねにそのような変容にさらされているもっとも不安定な技芸がたまさか「詩」と呼ばれているだけである。これは謙遜ではなくじっさいそうだと感じるのである。

 詩を知れば知るほど、それが実ははっきりと存在し、そこに居座ることが出来るような安定した大地を形成していないことがわかる。このことはなんども強調しておかなければならない。

 安定した大地を形成しないということは、それがつねに生きているということであり、生きているのは、困難なひとりひとりの発語であり、詩という実体ではないし、専門性でもないと私は考えている。

 次にかかげる「春日狂想」という詩を一度読んでいただきたい。

 中原中也は愛する子供の死に動揺し、なすすべがない。本人は本当に狂ってしまいそうになる。そのことで様々な体調不良と連動し、彼は死んでしまう。詩は彼の苦痛を緩和できなかった。しかし対処は難しいがそこに苦痛があることは示せたのだ。
 とはいえ、愛児の死をどう考えるか、己の不安定な身の上をどうするか、彼は最後までわからなかった。森田療法の原型になる治療にも頼ったりした。
 そのことを当時の最大の限界として作品として示した。それ以上先に多くの近代詩人は生き延びることができなかった。

 苦痛に向かい合うということ、それは苦痛の所在やその変化する状態に正対することである。埋没しそうになったり、離れそうになりながらも正対することである。残念ながらしかし中也はその境位を抜け出ることができなかった。(抜け出ることはできないが、その後を生きることが出来る人も多く世にあるはずであり、そのことがどうしてなされているのか我々は学ぶ必要がある)そしてそれがある場合には芸術になっていたりもする。あるいはそう呼んだりするということであり、それが磐石に存在すると私はあまり感じたことがない。
 もちろんだからといってひたすらに「不可能性」をありがたがるわけではない。しかし苦痛の本態に向おうとするならば、中也が歩いたような「春日」を一度は誰でも歩くのではないか。そう私は思うのである。それをどう「支援」するか「苦痛」を緩和するかということはこのような実相をしっかり見つめること、伴走者がいることからしか発しないのではないかと私は考えている。つまりこれは中也という「ケース」を通してみえる世界であり、それが「詩」として巌のように存在するわけでもない。むしろ滅びの手前をぎりぎり書き留めて以降の覚えとしているのである。

春日狂想



   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごふ)(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。

テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばくかんさなだ)を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具(おもちや)の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりぢぢい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はひ)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    ※(始め二重括弧、1-2-54)まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。※(終わり二重括弧、1-2-55)

空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入(はひ)りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外(そと)はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国(あつち)に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしませう。

中原中也 在りし日の歌 亡き児文也の霊に捧ぐ青空文庫)より引用