相変わらず読みやすいから困る
朝起きたら、窓の外に明るくなりつつある青い空があって、いいなあと思った。昨日までにあちこちで土砂災害が発生して、恐ろしいことだと思っている。水撒きとかしたら、カナブンが水に溺れて困っていたので俺も困った。罪悪感があった。
振り返れば昨日、夕方から雨降りそうだというのに油断して買い物に行った。で、自転車に乗った帰り、家まで200メートルくらいのところで大粒の雨が降り出し、すぐ家に着いたのにびしょぬれになった。
みんなあちこちの軒先で雨宿り、なんかいい風景でもあった。がこのような景色だけでなくあちこちで土砂災害もあったのだ。
実は昨日出先でうっかり
ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)
- 作者: スラヴォイ・ジジェク,栗原百代
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/07/07
- メディア: 新書
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斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ
などを読みその読みやすさ切れ味の鋭さに驚いたのだが、ある種の万能包丁のように感じて飽きてしまい遠ざかっていた。で今回久々に読んでいるが相変わらず読みやすい。
ジジェクはあるものの見方に凝り固まっている時に、面白い切り口で、すばやくまとめをしてくれるところがあって、時々いいなと思う。
今回は911と金融危機という直近10年のアメリカに端を発するグローバルな危機に、チョムスキーらのようなアメリカ政府批判でもなく、ネオリベ万歳に回帰もせず位置取りをしようとしている感じ。
実は非常に難しいセオリーを(ラカン、ヘーゲル、マルクスなどなど)バックにもつだけに自分はこのように読んだがそのように受けとっている自分の理解はまちがっていないのかいとか心配になる。
つまりあんまり中毒になると、なんとなく自分でものを考えにくくなるんではないかと心配したりする。
だってこの人、無骨だけど魅力的だものやっぱり。翻訳がちょい?
積読があるというのに俺と来たら・・まあいいか。