細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

そこで互いが「出会っていた」かどうかを-名越康文氏の記事から見えてきた倫理的な問い

精神科医の名越康文氏の3年前の週刊医学界新聞の記事医学書院/週刊医学界新聞(第2727号 2007年04月09日)非常に読み応えがあった。

医療という世界が抱える矛盾を主に人である限り免れない「死」と「関係性」から説き起こしている。
名越氏自身が子どもの頃から感じてた「人は死んでしまうのになぜ生きなければならないか」という疑問。医師になって、患者との関係を考える中でも「臨床」において生じてしまう患者さんとの距離感や医療のシステム自体が持つジレンマを鋭く考察している。それは人の生命や死に向う倫理と連動している。つまり子どもの頃からの問いを手放さずに問うているようなのだ。
第一回は名越氏が研修医時代から始まる。私は枚方市の大学に通っていたため、このエピソードは近しいものに感じる。バスが中宮の病院のそばを通っていたような記憶がある。

さて事件が起きたのは,一般科研修が終わっていざ,中宮の精神科病棟に入局する,その初日のことでした。まず,指導医のT先生の後ろをついて女性の閉鎖病棟を回った。そこはほんとにすごい状況で,会議室のガラス窓に何人かの患者さんが貼り付いていたりする。ところかまわず脱ぐ,脱糞する,やたらと水を飲む,際限なく食べ散らかす……そんな方もいたりして,たいへんなことになっていました。カルチャーショックですよね。

 次に回ったのが思春期病棟。ここは,先の閉鎖病棟に比べてずいぶん静かだと感じた。T先生も「名越先生,ここは勝手に見て回ってくれていいですよ」とおっしゃって,扉を解放してくれました。

 僕は患者さんに挨拶してこようと思って,寝室とか個室,あるいは食堂なんかを見て回りました。患者さんからにこやかに声をかけられたりして,ほんと,先に比べたら落ち着いたところだな,と思っていました。

 ひと通り見終わったところで,案内してくれていた看護師さんが「T先生ももうすぐ戻らはると思います。ここで待ってて」とおっしゃって,ホールで1人,T先生を待つことになりました。

 そこへ,ホールにいた患者さんが,「センセ,センセ」と声をかけてきて,僕の前に座った。僕は「今日からこちらで勤めさせていただきます,名越です」と挨拶をした。その患者さんがヘラヘラッと笑ったな,と思った瞬間,事件は起きました。

 距離は1メートルもなかったです。はっと気づいた瞬間,僕はかなりの勢いのビンタを,左ほほに喰らってたんです。彼女の表情は,まったく変化が見えなかった。先の看護師さんが気づいて「○○ちゃん,何すんの!」。僕は「あぁ,いやいや,大丈夫です」とか言いながらものすごく動揺している(笑)。

研修時にいきなりビンタされたのである。
これはほとんど象徴的ともいえる挿話として語られる。
そしてその事態が何であったかが問われる。

あのビンタが僕にとって不幸な出来事だったのか,幸福な出来事だったのか。いずれにしても,それは僕が一生を通じて答えを出すぐらいのものじゃなかったかと思います。実際,「なぜ僕にはあのビンタが見えなかったのか」ということは,今でも問い続けてますもんね。

 死角から来たということもある。その子がビンタを想像させない,屈託のない笑顔を保っていたということもある。今,僕が強く思うのは,それ以上にそのビンタが,僕の存在自体を否定しているような意味があったからなのかな,ということです。

 例えば「お前を叩いてやる」という感情が込められたビンタは,ターゲットを敵だと同定しているわけですね。しかし,彼女のもたらした「笑い+ビンタ」は,ある意味,僕を完全に無化していた。だから見えなかったんじゃないか,と。

 僕は彼女の行為を否定したいわけじゃないんですよ。むしろ,「人間というのはそういうこともできるんだな」ということを教えてもらった。彼女がやったことは,僕にだって,あなたにだってできる。僕にも表情があり,僕にも両腕があり,僕にもビンタをできる手があるんだから。やるかやらないかは別として,とにかく「そういうことができる」ということがわかると,患者さんと医療者の関係も,薄っぺらいヒューマニズムは通用しないということが実感できる。

 人間はあらゆる表情を浮かべ,あらゆる衝動を発露することができる。その組み合わせによって,相手にどれだけショックを与えることができるか。それって,あらゆる動物の中で,人間だけが取りうる行動であり,感じることだという気がします。「顔で笑って身体はビンタ」みたいな,乖離した行動がとれる生き物ってたぶん人間のほかにいないでしょう。

 だから,この体験は,少なくとも今の僕にとっては「狂気のエピソード」じゃないんです。逆に人間だからこそ起きたエピソードだと考えています。そこにショックがあるとすれば,それは「人間そのものを見た」ようなショックなんですね。

 実際,すごく傷つきましたよ。「なんでやねん!?」と(笑)。しかし,そういう寒々しい行為は人間だからこそできるんじゃないかというふうに,人間を考える契機になったという意味で,僕にとってすごく貴重な体験だったなと思うんです。 [ 第1回 精神科の洗礼 ]

考察の当否は置くとして、これは恐らく医師が役割の中に安住するのではなく、それどころか人間として同一の地平で他者への眼差しを求められているという気づきにつながっている。

もちろんビンタした患者さんにはちがう事情があったのかもしれないけど。
そして氏の死に対する独自な感覚が次の回で語られる。

映画を見るちょうど1年前に父方の祖父を亡くしていたことも影響したかもしれません。強くて,揺るぎないように思えた父親が,祖父の死に泣き崩れているのを見て,一人の人間が死ぬということの重大さが刷り込まれていました。そういう,いろんな死に関する体験の積み重ねが,この映画を契機に噴出したのかもしれません。
究極の問い
 なんで人間は死ぬのか。死ぬのであれば,なぜ生まれてくるのか。この強靭な問いに対して答えられる人は,おそらくこの世にいません。それこそスピリチュアルカウンセラーに言われたって,納得できないと思います(笑)。「生きることは修業です」とか言われても,なぜ修行しなきゃいけないのかわからないし,答えになっていない。もちろん,僕ら医者も答えを持っていない。これはおそらく回答不能の問いなんです。

 映画を観てから1週間ほど,眠れなくなりました。毎日毎日,ボロボロ泣いて,親が心配して「なんで泣いてるんや?」と聞いてくると,「なんで人間は死ぬの?」と問い返す。もちろん,親も答えられない。とにかく人間は死ぬ,だったら何で生きるんだ,という疑問で恐慌状態だったわけです。

 さらに,そうやって押し問答を続けているうちに,子どもなりに,周りの大人に聞いても満足いく答えは返ってきそうにないということが理解できてきます。「これは,自分で考えなければいけない問題だ」ということがわかる。でも,考えても答えが出るわけがない。夜になって目を瞑ったら,真っ暗な闇=死の中へと,自分が落下していくような気がして,恐ろしくて眠れない,そういう状態が続きました。
パンドラの箱に封じ込める
 そういう半ば発作的な状況が数週間続いたと思うんですが,結局,僕の場合,国語の時間に習った「パンドラの箱」の話を,自分なりに都合よく使ってその問いを封じ込めることになりました。「パンドラが箱を開けると,すべての人間のさまざまな煩悩が世界中に広がっていきました」というお話を聞いて,幼い僕は「しめた!」と思ったんですね。

 「パンドラの箱」のお話の本筋とは別に,「人の思いを封じ込める箱」という概念が,僕にとってはとても魅力的だった。「そういう箱に,自分の今いだいている恐ろしい思いを封じ込められるはずだ」と考えたんですね。死に対する恐怖,あるいは生に対する疑問を封じ込めよう,「箱に入れたぞ」と信じるようにしました。不思議なもので,その日からはぐっすり眠れるようになった。これで自分は生きていけると思いました。

 しかし,一度そういう「問い」を抱えてしまった人間は,そこから完全に自由になることはできません。いつかはそれに直面しなくてはならない。再びパンドラの箱が開いたのは,それから10年ほど経った,大学1年生の時でした。[ 第2回 パンドラの箱 ]

こういう問いが、単なる思い出話ではなく、経験を考察し分析する「素材」となっていることが重要である。(私にもこういうパンドラの箱を開いてしまった、もう後戻りは聞かないという瞬間があった。私は医師にならなかったし、ずっと仕事になじめなかったり病気になったりしてきたのだが、親やなじんだ環境と自分の人生の方向が違っていく時、その背景にある私の生や死に対する思いが出現した。そういうとき私は、「自分の中にある真実はごまかしが聞かない」と感じた。)このテーマが、名越氏の臨床で感じることの通奏低音になっているように思われる。なぜなら医師を目指すことと同時期に、自分がこれまで持っていたが捉えきれなかった死と生の問題が内在的に問われるからだ。

医師であることと、死に行く存在である人間としてどのようにいきるかという問いの両立しがたさ。あやうさ。それがインフォームドコンセントや病名告知(精神科)における緊張感、批評的意識のもととなっているようにも感じる。
そのような場面を名越氏は「厳粛なる場面」といっている。

「厳粛なる場面」での選択
 私は臓器移植を受ける患者さんはもちろん,移植医療を推進する方を批判しようという気もありません。私が臓器移植の問題を引き合いに出して述べたかったのは,生死のかかった場面での選択,決断とはどのようなもので,医療者はそれをどうサポートできるのか,という問題についてなのです。

 移植を受けるか否かの決断を迫られる,あるいは重い病名を告げられる,治療を選ばなければならない……こうした場面を迎えることで,人間は大きく変化します。

 その変化がどの方向に行くかは,本人にも,周囲にも,まったく予想がつかないものです。今,自分が感じている「自分像」が180度変わってしまっても不思議はない。そういうまったく予測がつかない不安定で,危険な瞬間を,ここでは「厳粛なる場面」と呼ぶことにします。

 医療者であれば,誰しも「厳粛なる場面」に同席することになります。そもそも,病院という場所は,患者にとって,一歩足を踏み入れた瞬間から少なからず自己変容を迫られる空間ですよね。どうしたって「診られる自分,検査される自分」への変容を受け入れざるを得ない。重病の告知や,重大な治療選択となれば,なおさらその場面は厳粛なものとなっていくでしょう。

 我々のアイデンティティが変容してしまう「厳粛なる場面」は,当然のことながら医療以外にもたくさんあります。会社で新しい役に任命される,学校に入学する,転勤する,そういった社会的な役割の変化の瞬間には,程度の差はあれ,人の存在は不安定になります。

 そして,われわれの文化は,そういう不安定な「厳粛なる場面」を,共同体の中で見守るための儀礼を育ててきました。入学式,卒業式,結婚式……あらゆる儀礼は,そういう不安定で,危険な瞬間を見守るために機能してきたわけです。
「厳粛なる場面」とインフォームド・コンセント
 では,医療における「厳粛なる場面」は,どのような儀礼によって見守られてきたのか。

 そういう目でわれわれの臨床を眺めてみると,この数十年,そうした儀礼性が医療現場からどんどん失われてきたことがわかります。そして,そういった医療の儀礼性を解体する役割をある種,担って来たのがインフォームド・コンセントEBMといった思想・ツールであったのだと思うのです。

 かつての儀礼性に富んだ医療に弊害があったこと,そしてインフォームド・コンセントEBMがそれらを改善すべく登場し,成果を挙げてきたことを僕は否定しません。

 しかし,これらのツールが,医療における「厳粛なる場面」で有効な機能を果たしうるかという点について,僕は大きな疑問を持っています。

 特に,インフォームド・コンセントは,必然的に「厳粛なる場面」で執り行われるわけですから,そこには患者の不安定さを見守る儀礼性がどうしても必要だと思うのですが,どうもそういう機能は持っていないようです。

 もちろん,それぞれの先生が行っていらっしゃる実践内容はさまざまなので一概にはいえませんが,少なくとも「情報を提供し,患者に選択権を与える」ということで「厳粛なる場面」を乗り切ろうというのは,甘い考えだし,危険だと思います。

 情報を受け取った患者さんがある選択肢を選ぶ,あるいは選択を変える。これらは,どこまでいっても「外面」の変化です。しかし,重い病の告知を受けた患者さんの「内面」は,そういう「外面」とは無関係に激しく揺れ動いています。

 そういう内面と外面の大きなズレが「厳粛なる場面」では生じざるを得ない。そうすると,「情報を提供し,患者さんが納得して,治療法を選ぶ」というポイントをゴールに設定するインフォームド・コンセントの理念は,ずいぶん能天気だと感じざるを得ません。なぜなら,患者さんの表面的な選択からは見えにくい内面のブレこそが,臨床家が直面するもっとも大きな問題だからです。

 極端な話,精神科の場合は,病名を告げた途端に患者さんが窓から飛び降りる,ということだって起きかねない。「厳粛なる場面」において,人の「内面」は,その人の全人生をかけて動いています。そういう場面において,書面で患者の同意を得るというシステムは,それを徹底すればするほど,責任逃れとしてしか機能しないように思います。[ 第6回 厳粛なる場面(1) ]

どれも少し長い引用で恐縮だが、必要があってそうしている。ここで「厳粛なる場面」と呼ばれていることが死のみならず、人間がある場所からちがう場所へ踏み入れる時や、変化を強いられる場所として呼ばれていることに注意しよう。これは文化的な意味で「死」と「再生」として体験されるが、実際にそれを体験する人の身上や状態に注意が注がれている点は恐らく優しさだけではなく、名越氏の死や生命存在に対する感覚から派生する「リアリズム」なのである。
それは(死や病、成長や老いなどの)変化を生きる人間そのものに、自分も変化しつつある人間そのものとしてどう向き合うかという形で現れる。

人間にとって変化は最大のチャンスであるとともに、最大の危機なのである。
変化のときに精神疾患がおきやすいこともそれを示している。

これは立場の違いは大きいが長らく患者である私にも了解しうる。そう変わらない。なぜそう思うのか。最初に引用したように名越氏が、「身近な死」や「ビンタ」といった自分の存在に起きた出来事を、つまりは語りえぬような出来事をなんとか言葉にし、自分の存在を構成するものとして自覚し、その自覚の作業そのものが「臨床感覚」の培地の基礎をなしているからだ。
 「リアリズム」は特別な修練からでてきたものではなくして、人が生きようとする限り、一定程度避けがたい人生のプロセスからでてくるものであるように思う。その修練が名越氏の場合「医師」という役割の中で行なわれている。
 自分が何かに出会ったとき、私たちは変化を迫られる。それは進学や就職、失業だけでなく、そういう出来事的なきっかけのみではなく、それの下に流れる川のような僕ら自身の生命の変化がもたらすものである。
 生命の変化と、自分の置かれている環境の変化に人間は常に曝されるが病気や危機のとき最大化する。つまり環境と自己の生命の変化の板ばさみとして、境界領域として「自己」が生きられるのである。
 病気がひきがねとはいえるが僕が仕事を辞めたり、家族と衝突したり福祉サービスを受けたりといった変化は、病気そのものの「せい」だけでなく、自分が要請された変化に己が答えようとして苦慮してきたことのように感じられるからだ。

 さて名越氏のいうことを言い換えるなら、このように内的に生きられた生の感覚が語られ、それが医療実践とともに検証されるということが重要であるということである。
 それは、どのような職業や人生を送るものでも、他者に対して力を振るう職業であるならばなおさら必要なことなのである。
 そしてそれは患者だったり、患者を終えたり、病院に行かない人にも等しく当てはまることではないかと思われたりする。
 それは医師以外のものもこの時代を生きているという端的な事実性に変わりはないからだ。
 私たちはポスト近代の、不安定な人と距離の取りにくい、絶えず干渉を受け続けているようで肝心な接触が激減しているような世界に住んでいる。この解離と、深く犯される感覚は対になっているように思われる。医師はそのジレンマをとりわけ深く生きてしまっているように思える。
 これに簡単な答えはないのであるが例えば名越氏はこのように語る。
 

なぜか。このテーマについては,1人ひとりがまったく違う経験をしていると同時に,普遍的に,まったく同じような経験をしているともいえると思ったからです。それぞれの身体の中で傷んでくる場所,動かなくなる場所,痛みが走る場所,吐き気がする時期,どういう種類の嘔気であるかは,1人ひとり,全部違う。でも,自分の体が朽ちていく,自分自身を処することができないということがはらむ挫折感というのは,ある程度,人間にとって普遍的な苦悩といえるのではないかと思うのです。
医療者は普遍的に「患者から遠い」存在である

 そうした人間に普遍的な苦悩に対して医療者はどのように対応するのか。現在の医療が至ったのは,一言でいえば「患者さんから遠くなる」という道でした。これはある種の限界だと僕は思います。

 「いや,私は患者さんの親身になっている」という先生もいらっしゃるでしょう。しかしたとえば100人の患者さんを診て,それぞれの入退院の世話をするとなれば,絶対にどこかが自動操縦になっているはずなんです。そうじゃないと,今のシステムのもとで医者として普通はやっていけない。

 このことが医者という存在が持つ究極のジレンマです。極端にいえば医者が医者として機能していくためには,人間的であることはできないし,そうあってはいけないんです。その人が自分の身体を失っていくことを感じているのと同じように感じてしまっては,患者をマスの単位で扱う医療は立ち行かない。そういうある種の諦観からしか,医療は出発できないわけです。医者は,医療という枠組みの中で,たんたんと医療を提供していく。少なくとも今日の医療システムでは,それこそが医者の仕事です。ただ,そこには患者はいないんです。

 そういう意味では人の死に際して,医療者がどうにかできることは,本質的には何もないんですよね。そもそも,医療というのは人間存在を包括的に見よう,という視点をあえてなくすことによって,「科学的」になったということがあるわけです。だから,全人的医療,というのは,医療の科学性という観点からいえば語義矛盾を起こしている。あなたの肺は汚れています,とか,腎臓の片方が弱っているといわれた瞬間,それらの臓器は自分にとって他者,違和感のある存在になるわけですが,そういう見方と,人間存在を全体的にみる見方というのは,両立しないんです。

 つまり医師である限り「患者から遠ざかる」という乖離は医師にとって「制度的」(この制度はid:ueyamakzk氏の主張するガタリ由来の制度分析という言葉にヒントを得て使っている)に生きられているのではないかと。そう名越氏はいっているように思われる。
 ながらく「主観と客観」という抽象的に語られてきたことだが、医療はそのような解離と他者を分解してみることをいわば「制度として」必要に迫られてもっている。
 このような制度は恐らくかなりの専門家分業体制をとる様々な職業や活動集団で生きられており、恐らくこれは丸山真男の語るように日本独自なわけではないだろう。
 しかしもしかしたら「日本」の国の文化にこのような「解離的」な適応・実践の仕組みが強化されやすい要素はあるかもしれない。ここは恐らく名越氏と意見が異なるかもしれない。
 ただ人と人との出会いでなされる実践において、目の前の人と解離して人を処理するという仕組み、あるいは、その後に「感情を注入」することを「強いられる」感情労働の仕組みはセットなのかもしれない。
 そこで失われているのは今ここを生きているもの同士で作られる状況や当事者同士の問題解決や対面の倫理である。

 もちろん医師にも強くそのことが問われるが、それに耐えるほど人間存在は頑丈に出来ていないため、医師は自己を専門家として訓練せざるをえず、訓練した結果、ある力を手にするのと引き換えに、何かから引き剥がされているのではないか。
 もちろんこれは医師のみではない、福祉職も営業職もいかなる社会的立場にも強いられている現代の条件かもしれない。
 ニートやひきこもりといった問題、あるいは精神病者がある断絶を伴いながらもゆるいつながりをもって語られるのは、そのような「強いられた」共生の条件に耐えられないと悲鳴を上げる人やその状況が実は我々にとって普遍化しつつあるという証かもしれない。
 反精神医学はそれを医学への徹底したカウンターとして提示したが、あるいは学生運動もそうかもしれないが、しかしそれらは実は我々が共存する限り避け得ないものにまず「否」といったのかもしれない。しかしその次に問われるのは「ではどうするのか」なのである。
 ではどうするかが40年以上、経済発展や福祉国家化、消費社会化に覆い隠された形で置いてきぼりになってきたのかもしれない。

 少し先走りすぎた。

 恐らく名越氏が最初に語ったビンタは、その対面の倫理を呼び覚ます一撃ではなかったのだろうか。私は長らく患者であるが、一度医師と激しくやりあったことがあるのでそれを恥ずかしくも思い出すのである。
 そこで互いが「出会っていた」かどうかを。


 名越氏が安易に答えを出さず、医療の持つ矛盾を自分が医療者であるという職分を自覚しつつ(限界を知り、その内側から問いを立てる形で)語ろうとする様子、非常に心に迫ってきた。
 そして死者に対する彼の感覚に私はある地点で共鳴するものを感じたのである。