細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

スティグマを思い出す

図書館で上の本を借りてきて読んでいる。他にはイアン・ハッキングの本や、社会福祉関係の本、それから上山さんの関わった「医療環境を変える」である。

しかしこれらを借りてきた後、最近春の季節の変わり目のせいなのか、なんというかイライラした状態に変わって、しばらく日記をかく気持ちが失せてしまった。
ツイッターにはまったりしていたからなのか。いやそれだけではなく、医師に「石川くんは病気の状態からは脱したので次は仕事に向けていこう」とお話してくださった頃から何となく、昔からの懐かしい気持ちが戻ってきたのである。
その懐かしい気持ちは病気がよくなってきたことで浮かんできた。病的な水かさが減って自分の「地」の部分が出てきたような感じだった。社会に出て行けない自分の姿をまた再びリアルに見いだしたのである。
しかし10数年前よりは経験は増しているだろうから、なんとかなるかもしれないし、うまくできるか、かなり不安でもある。

うまくしなくていいが、やはりしんどいのは辛いのである。

さて石川良子氏の「ひきこもりの<ゴール>」の3章まで読み終わった時点で、当事者のインタビューが出てくる。3章の二人は大学を出るあたりの、あるいは出てからの自分と「酷似」している。
ある人は、大学に通えなくなり、実家に連れ戻されるのだが、そこで「サークル」の人間関係がなくなり、学校にも通いにくくなり、両親に黙って「嘘通学」をつづける姿が描かれる。
これは近所でよくない噂を立てられたないという気持ちから出た行動のようだ。嘘通学の中で3っつくらい離れた学生街に行ったり図書館がよいする。なぜなら、そのように「自分が匿名」の存在になれる空間に行くことによって、家や近隣では露呈する本人の「スティグマ」(つまり社会的な逸脱者であるという引け目・マイノリティ意識)や気まずさを回避するのだと石川は分析する。
私も「嘘通勤」の頃そのような感じでほぼ同じといってよい。
またもう一人は父親とはあまり顔を合わさないようにし、母親とは比較的コミュ二ケートできたことをいっている。つまり父親がではなく、父親に象徴されるような「正規の社会参加ルート」に乗れない自分を否応なく父親や「仕事しないの?」という他者の存在は自分自身に感じさせるということである。
その自分自身は「スティグマ」的な「うまくやれない自分」の像なのである。
ゴフマンはスティグマを「信用を失わせる」あるいは面目を失わせるような社会的属性といっているのを思い出す。しかしそれは目に見える有徴性だけではない。本人が従ってきた社会的な規範やコードに照らす時、「うまくできない自分」が露呈してきて、それが自傷のように自分を痛めつけていく。そのような様がわかる。
たとえ、他の人が何をいわなくても、少ない対人接触の中で、3章の中で述べている人もいるように、街を歩いていても知らない人に「変な人に思われているのではないか」という視線を感じることは私にもたくさんあった。3章で、ある人は自分の通っている大学の研究棟に近づけなかったと述べている。この経験は私もあった。私の場合、遡れば小学生の頃からあった。このような内面化された視線は、かつてならば「統合失調症」的なものとして、記述された時期もあったかもしれない。それは置いておくとしても、自分を引っ込み思案にさせるこのような内面化された「視線」が発達やその人の成熟にとって、ある場合は必要な良心の発露だとしても、それが過度になると本人の力を内側から奪っていくのである。
おそらくはそのような内側からの侵食が、様々な場面や文脈(父親や社会の視線)と融合して、起こるため「退却」せざるをえなくなるという発生の機序を再発見したのは私にとって意味があることだ。
それがやがては当たり前とされる行動への参加に多大な苦痛や、引け目をもたらすのだ。
これは今の日本の社会体制が、深刻な個人のコミットメントの危機を起こしながら進んでいることと非常に近いものだろう。つまり通常の労働をしている人に心痛む場面は多いが、なんらかの理由でそれへの耐性が弱かったりする人は、それが即社会関係からの退避、社会関係の喪失、つまりは経済的自立の喪失にも陥る、そのような懐の狭さである。これは人情が減ったというだけでなくシステマティックな事情を持つのだと思う。

もちろん生きていかねばならないのだから、どのような非力な奇妙な自分とも折り合いをつけねばならないのだが、しかしそれがつけにくいということを私は知的障害者の人たちと触れ合う中で知ったはずであり、それがふたたび自分の問題を浮かび上がらせたのではないか。知的障害者の介助の仕事をやめた2002年の意味をそんなふうにも思い出すのである。
知的障害者の人々が私よりもさらに「有徴性」を帯びていたとしても、彼らも私も似た形で悩んでいることに私の感覚はどこかで気づいたため3年間仕事ができたのかも知れない。その3年間は、自分自身の深刻な「内面的問題」へふたたび向わせる意味で大変有意義でまたつらいものでもあったかもしれないと私はおもったりするのである。
少し休憩してからまた「ひきこもりの<ゴール>」を読み進めていきたい。これらの過去の経験を反芻することで、次へのヒントがあらわれるかもしれないと思ってもいる。