細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

カテゴリーと様々な生の様相―わずかな社会経験から

引き受けたくない矛盾は引き受けなくとも良い。しかしそこに、自分の前に矛盾が置かれているのは認めよう。自分が病気であったこと、医療福祉制度を使っていること。そしてそのことと、関連してあるいそれとは別の形で自分がただ存在していること、存在しつづけていること。それを認めよう。

自分は相当程度力がない人間である。しかし、力や権力という尺度で見る限り大多数の人間は、ほぼそれ自体では政治的な力は持たない。だから、人と共に、あるいは自分で生活をしながら、自分の生を養っている。

生は、ある場面で闘争であり、人との場所の奪い合いである。これはパスカルもそういう。しかし事実として自分の存在する場所を占めていきている。それは決して観念の問題に置き換えられないが、人はそれを他との共有財である言語によって、自分の生きる様子を語りそれを輪郭付けている。言語には、沈黙やたんなる表示、歌、叫び、身振り手振り、暴力等様々な水準にある。

自分のケースに置き換えて、最近上山さん(id:ueyamakzk)と酒井さん(id:contractio)の議論を読んでいて率直に感じることは上のようなことだ。
あまりに一般論で、自分でも恥ずかしい。
しかし自分を「当事者」として同定することは、具体的な関係性を抜きにしては語れない。そうでない、自分は「病人」だ、なんだということは空語である。それと後述するように、「病人」とかは関係ないじゃない俺は単なる人間だよっていう部分がどうしてもある。そしてそれらがぎくしゃくと連動するところに「苦」の体験がある。この苦が病かもしれない。これは生きることのある形式である。
自分は頭が変で昂奮したり、暴れたりしたので、あるいは長い精神的無力感、自殺衝動さまざまなものを経験してきた。それは自分の恥の、つまりは耐え難い部分であり、私の家族や恋人や友人にとっては苦しみであり、そこから立ち直って欲しい部分でもあった。(立ち直るというのも変な表現の気もするが)
私もそうである。それを総称して「精神疾患」の経験と呼ぶこともできよう。しかしそれは具体的な生活の苦労の諸現象でもあるのだ。

ある部分で、自分は元気になったが、しかし自分が致し方なく存在する欠損を、つまりは病気かそうでないかよくわからない欠損を自分は引き受けるしかないのである。(といってもやはり自分の嫌な部分はたくさんあって苦しい)
自分は自分にとって都合の悪い愚かさや、情動とともに存在しているからである。
また、そういう人間が解放されるためにどのような制度がありうるか考えてみた。しかし知的障害の当事者運動の周囲にいた頃から、私はこれは簡単な問題ではないと思ったのである。事実関係をいうとさしさわりがあるが、しかし障害当事者であることは、どこかでスティグマであり、既存の差別的な待遇を引き受けることである。なぜならこの社会の制度はある程度不備である。

しかしそれだけなのだろうか。被差別者として語ることがすべてなのだろうか。私は時折障害者運動に同行しながらそうも感じたのである。彼らにも様々な生の様相はあるからである。私以上にたくましく自立している部分と、どうしようもなくできていないことがあったりする。私も未熟でありひとりの人間であり、つねに試行錯誤でおろかであったりたまさかうまくいきながら支援する。この手続きが、制度の具体的な内実なのではないか。その中で、つねに自分は何者の資格で支援しているなどといえるのかと思っていた。

例えば障害者の親は一様に自分の死後、わが子がどうなってしまうのかを心配していた。私はグループホーム世話人として答える言葉はなかったが、親でなくても、他者とでも生活を共にし必要な援助をうけることは恥ではないと思っていた。グループホームは幸い、風呂に入って飯を食って寝るそのような人間の生身の生活の場所だったので、私はその人が快適に生活できればまずそれが第一歩だと思った。なぜなら身の安全が確保されていないところで、どうして今後のことをともに考えられるであろう。
就労も何も全ては、その具体的な生活の経験から始まる。障害年金を受けようと、生活保護を受けようとそれはある面で屈辱だが、ある面では、今現実に生きることの選択である。そうして利用者が力を失わないようにすることが、あるいは自分の生活を支援を受けながらでもやれているということが、まずはその人にとっての「自立」であろうと思った。(その仕事は私の未熟さや、様々な理由-病気を含む-で辞めてしまった。)

こういう処置は本当に最低限のことであり、これではあまりに希望がないのかもしれない。しかしそれができて、つまり自分の心身の拠点である生活を曲がりなりにも形成する、維持することは、その上に公共性を積み上げるために大事である。これは自分が、親と喧嘩したりして、実家が住みにくくなったときに、直に感じたことでもある。

であるから、こういう経験を精神障害者として、何々当事者として語ることも意味があろうが、つまるところ、そういう履歴をもたざるをえなかった私というものの、そういう蓄積が私の看板であって、それでまずは充分である。いや充分なのだろうか。そうではない気もする。だからこれからを考えるのだが。それ自体として人間はさまざまなチャンスを持ちうるということは憲法でも保障されている。(実際はそうでないことも多いが)土台はガタガタだが、その上に自分のキャリアを積み上げるより他ない。(諦めもあるが…)
もちろん自分を呼ぶための概念、私は芸能人です、歌手です、バス運転手です等などは必要であるかもしれない。
また、この充分に人道的な制度が構築されているか疑問な日本社会において、「自分はひきこもりでした…」という自己紹介は意味があるかもしれない。

ただ忘れたくないのは、様々な役割や、関係性の中での相互作用類の中で人は社会的に機能するとしても、そしてそのことと実存的に「この俺は他ならぬ自分の生を生きてきた」ということは往々にしてずれや断層をもつがそこを生きることがこの世の生であろうということだ。

両立はしないものの、そのズレや一致を生きることが社会的な生であり、それ以外に社会的な生はない。
いま私にはこれといった所属はない。EMのフロンティアでも「二次会に行く方は名前と所属の大学等を書いてください」といわれたとき私はひどく戸惑った。
これは差別だとか無配慮だとか批難したいのではない。ひさしぶりに私は自分に所属のないことを痛切に感じたのである。
昔からそのように感じて生きてきたからだ。そのとき所属はあった。といかそれほど、卒業して間がなかった。僕はナントカ大学卒業ですと、履歴書に書くときに、すごく空しかったのだ。僕は制度と制度の空白地帯に落ち込んだ。それは自由である反面、自分の対人関係への抵抗や苦手さ難しさから来ていた「空白」「無業」状態だったからだ。今もそれはあまり変わっていない。昔、散々履歴書を書いてきた。そのたびに面接に落ちみっともなかった。うんざりだった。しかしそれがなぜか誇らしかった。おそらく無頼を気取っていたのかもしれない。しかしやはりうんざりだった。

自分を一個人としてみてくれというナイーヴなことがいいたいばかりではない。(いやいいたいのかもしれない)アイデンティティがどうとかというややこしい話もする必要はない。(毎日しているかもしれない)しかし自分は何もない、所属や社会的に有効な属性がない、あらかじめ「掟の門」(カフカ)の前で弾かれている。というよりそれは激しくいかんともしがたい違和の感覚がたびたび噴出した結果であり、それはこの社会の現状と関連しているであろうし、自分のある種の不完全さかもしれない。これらは、推測であるが私を含め、上山さんと酒井さん*1をどこかでつないでいる*2ものではないかと私は思う。



自分が生まれ、生きる場所に違和をもつこと。そして同時にカテゴリーで人は絶えず
光景や事象や文章の基礎となる経験を構成しつづけること。原初的な違和という言い方は抽象的にすぎるだろうが、ウィトゲンシュタインのいう「沈黙」の領域と言語(カテゴリー、命題などなど)であらわされることの境界設定に、様々なカテゴリーや秩序(上山さんのいう制度)は仮に立ち上げられては廃棄され、あるとき再興されるのである。私は今そう思っている。

たぶんおふたりの学的なやり取りに資するものではないかもしれないから申し訳ないと思うがここに恥を偲んで書いておきたいと思う。直感的にこういう話も必要だと思ったのだ。拙文であることを謝する。

*1:本文を書いた後の補足:EMへの印象=エスノメソドロジーが真に新しい学問かはわからないものの、記述を再試行する。そこに参与して観察する自己を問う。研究の素材を広い意味での法則性のある現象として捉え、日常性と科学を安易に対立させないということである。これは日常を絶えず検証する働きそのものを純化したものだという印象がある。検証する働きと日常の生活の中で運用される言語や行動の働きをずり合わせる運動である。もちろんそれが何にとってどのような有効性を持つかは定かではない。ただ日常の様々な支援業務における検証の精度を高めうる機能はあるかもしれない。また、有効性や文脈依存性、合理性、秩序つまりは今ここで起きている事柄を過度に疑うことなく、しかし慎重に検証するものだから、有効かどうか、有益かどうかということは、ある政治的なモメントの中で、拙速を戒めるような働きもするかも知れない。それは支援業界の改善を強く望み、今ここに生きられる権力性の根底的な相互批判を望む上山さんにはある意味、「遅すぎる」ものに感じられているかもしれない。私も似た感触を持つ。もちろん学問は下手を打つと100年単位で変わってくものだから無理もないのかもしれないけども。つまり今はどう評価していいかわからないにしても、何かをつまり様々の営みを精査、検証するときの、ある作法に基いた手続きのひとつとして機能する可能性があるし、現場で生きられている支援職や仕事をする人、生活者がEMと名指すことなく、EMのような記述や確かめの作業をしているとも思う。ケース記録やケア会議、それだけでなく現場感覚は丁寧な記述によって作動している面がある。もちろんそれはある方針をもっている。それが上山さんのような取り組みとかち合う可能性もある。EMは日常性の知を取り出すが、その目標はなにかなど素朴な疑問もある。

*2:*註1の続き=私はしかし元支援業界関係者であり、また現在は精神医療、福祉のクライエントであるから、ひきこもり業界があまりにも制度化が遅いことに驚く一方、精神科医療もたかだかここ10年で国や自治体の制度ベースに乗ったのだから、障害福祉界でも発展が遅い。しかも、かつて自分のいた職場も、権威主義構造は厳然としてあるのだった。ただいえるのは、私は左翼系の方から仕事を習ったからかもしれないが意思決定が難しい人の権利をどうすくいとるかかなり訓練された部分があり(しかしそれ以上にきつい奉仕の精神の強要がある)、それはよい部分もわるい部分もあるだろうが具体的な場面で、性や生活の各所で具体的に権利を考える仕事だったことだ。上山さんのひきこもり支援業界の話を聞いて、その業界では権利擁護という視点があまりにも欠けているという印象を持つ。それに上山さんは異議を申立てているのだが、上山さん自身具体的な場面に即して、どのような権利の申し立てがひきこもりにおいて重要か、斉藤環さんとはちがう観点から平易に書けるはずだと思う。ポストモダン哲学に依拠するのはもちろんかまわない。だが、ポストモダン哲学にもEMと同様、学的な文脈がありそれに加え、社会運動的な潮流が複雑に絡み合っている。そこは難しい勉強がダメという意味ではなく、単純に理解に躓くひとも多いと思う。ただポストモダン哲学には、独自の批判哲学的モメントがあるし、具体的な「分節」という作業カテゴリーをそこから上山さんは引き出している。分節は「記述」とどうちがうのか争点になりうるかもしれない。それは事実のつかみ方、構成の仕方に関わる。ただ思うのは、どちらもおおむね、現にある今ここの場や秩序形成に態度はちがうが、関わろうとしている。上山さんの場合、主にひきこもりの人をめぐる状況に参加している様々な人や制度への、自己批判も含めた介入を目指しているように見える。EMは、学的な、つまり比較的互いへの侵襲に慎重になると思われる。そうすると、その場で懸命になっているある人は、EMの研究者に君たちはどう思うかと聞いたりするかもしれない。逆にそういう関心を呼ばないかもしれない。ただ、上山さんが主にガタリやウリが試みた制度を使った精神療法を旨味を減らさないまま平たい言葉に置き換えることは上山さんならできると勝手に期待している。ガタリは難解な著作を書く一方、日常語で患者や医療スタッフと接していたはずだから。それはどちらも矛盾しない。なぜなら現場で起こることをその当事者として渦中で記述すること、それは経験を文字に置き換えるのに苦労し様々な屈曲を体験し、時折文体は晦渋になる。そしてそのことと、現場で会話するガタリは同じ何かをちがうシステムの中でやっているのだ。だから伝える表現を模索する意味で、「記述」に注目し、それを梃子に上山さんの「分節」概念を考えてみることも今後の上山さんの議論を豊かにするように思われる。(実は文学も、そのようなシステムのひとつなのだと私は思う)それは引いては全国に散在するひきこもりの人たちにとって、周りの関係者との付き合い方への示唆にもなるからだ。もちろん上山さんには上山さんの苦があるでしょう。でも上山さんはなんらかの形で私や様々なひとに見えない形で刺激を与えていると思う。