細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

受け入れることでしか変えられない状況

冷たい雨のち曇りの日。昨日は「新しい人生のはじめかた」*1という映画をシネ・リーブル梅田でみた。ダスティン・ホフマン(72才だという。カッコいい!)が冴えない初老男性を演じる。その男性は離婚を経験しており、奥さんに引き取られた娘が結婚するのでアメリカからロンドンへやってくる。しかし奥さんは再婚しており、当然ながら顔合わせや、結婚式では居場所がない。そして仕事もくびにされるという最悪な状況で、シングル生活に一抹の寂しさを漂わせる女性(エマ・トンプソン)と出会うという話。この映画、このようにさみしい話のようで、実際生きていて感じる居場所のなさや老い、疎外感、ちょっとした惨めさがいくつも出てくるのだが、しかしこのふたりの出会いやそこで展開されるエピソードに血が通っており、ほっとして元気が出る映画だった。残念なのは上映館が少ない上に、邦題にセンスがないことだ。多くの人にみてほしい。

私も例外ではないが、多くの人がある種、つまらない集まりや、離れようかどうしようかという交際関係や退屈なメディアとの関係やちょっとした不調、日常のうまくいかなさの中で、それでも一人の人間としての居場所を守ろうとしている。ささやかでも退屈でも、仕事がなくなると大変な不安や困難がある。だから小さな居場所で多少退屈でみじめであっても生きようとする。老いや病や時代とのズレが安定を侵食し、何かに囚われたように小さな暮らしを守っている。そういう中で、この映画の場合、エマ・トンプソンは男の求愛を喜びつつも変化を恐れて断ろうとするシーンがある。

変化を望んでいながら、しかしその変化を恐れる。ここにポイントがある。

これは大きく取れば仕組みにどう順応し、あるいは不本意な仕組みや制度の中からそれを変えていくかという問題構成にもつながると思う。

変化を喜んで、しかし恐れながら迎え入れること、己の中で感じられ訪れた変化を肯うこと。

シネ・リーブルのあるスカイビルの周辺の梅田北ヤード*2は急速な開発が進んでいる。といっても順調かどうかはわからない。この不況下で、他には阿倍野*3界隈でも開発が進んでいる。梅田北ヤードはかつての旧国鉄時代からの貨物駅があり広大な土地がほとんど無為のまま存在してきた。私は北摂で生れ、大きな街といえば「梅田」だった。20代の頃はよく来ていた。しかし見慣れた風景が一変していく様を感じると、昔このあたりを歩いていた記憶の風景地図とは異なっており、昨日はすごく困惑を感じていた。

梅田の阪急は戦前から存在しており、あるいは曽根崎新地あたりもそうだと思うのだが、戦後はしばらく現在大阪第一、第二、第三、第四駅ビルがある辺りは焼け野原の跡にたったバラックだったそうだ。私は第一〜第四ががらがらになってからの風景を知っている。あのあたりのビルはテナントがあまり入っていない。そこはもうからない。梅田は今度は、北へ伸びるという。また大阪第一〜第4ビルの二の舞になるのだろうか。今は工事のための塀が建てられている場所がいくつもあるだけで、しかし大阪駅自体も北側を大きく工事をしている。しかし新しい風景ができたときそこに慣れることができるのだろうか。新しい風景ができるのだろうか。できてもできなくてもそこにおいて、自分はどのような自分であるだろうか。

人生はからっとは新しくならない気がしている。何度か自分の人生も折れ曲がり、変化のときをくぐってきたのだが、ダスティン・ホフマンエマ・トンプソンのような変化が来た時、あるいは来なかった時私はどんな方向にいるのだろうと思う。

でも、そういう不確定な戸惑いみたいなものとともに、他ならぬこの私がそこに立ち、ある変化を自ら望むようになりたい気持ちもある。それが意志というのだろうと思う。生きる場所、そこを形づくること、それを自らのものとすることは、ただ受け入れることだけではない。受け入れるのにもそれなりの「意志」と「力」と「知恵」がいる。受け入れる自分は、だから状況に服従している自分ではない。状況を変えようとする自分である。
受け入れることでしか変えられない状況というものがあるのだから。
繰り返す。受け入れることでしか変えられない状況というものがあるのだから。